自分のこと「先住民族」だと思っている沖縄県民はどのくらいいるの? | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

貼付させて頂きました。

 

<約27分>

2023/09/15配信

 

コメント欄より抜粋

アイヌ民族は、先住民として国会で決議した結果。ロシアがアイヌはロシア民族であり北海道もロシア領であると公言する始末。 沖縄県民を先住民と決議しますと、C国領として台湾と同時に侵略が可能となると思います。

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(雑感)

思えば、日本人でありながらの反日日本人らが、悲惨な歴史の塁を築いていったのよね。山本五十六・・しかり。歴史に騙されてはいけないのよネ。正義の面をかぶって人民に不幸のネギをしょわせるんだわよね。思想かぶれのエリートこそたちが悪すぎるわ。

・・・・・。

 

それにしても、ハーフ牧師さん。

おもわず肯いてしまいました。

きちんとした史実で反論できること、

対抗していくって、説得力あります。

おねがい

 

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<追記>

約50分

 

江戸時代、琉球は薩摩藩の附庸國だった

(附庸國は内側で(属国ではない)統治されている状態)

※検地、禁教令は与那国島まで徹底されていた。潜入した宣教師は火あぶりされた。

明治5年9月<1872年>

薩摩の附庸國から天皇直属の藩になった

→昇格し薩摩藩と対等になる。

薩摩は琉球貿易に巨額な投資をしていた。

琉球は薩摩への負債を全額免除された。

ショウタイオウは琉球藩王となった。

明治7年正月、昇格祝い、首里で大宴会。

(天皇家2000年の歴史に刻まれる栄誉を祝った)

<八重山日報掲載文>

泰王は皇恩に感激し、明治7年正月に首里東苑で大祝賀会を催します。その際の宜湾の和歌が久しく人口に伝誦され、沖縄人の心情発露の象徴となりました

 

宜彎朝保の詠:

古(いにしえ)の人に勝(まさ)りて嬉しきは、この大御代(おおみよ)に逢えるなりけり

 

しかし昭和40年頃から、これは政府に騙された愚かな和歌だとして左翼の批判を浴び始めたのが残念です

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明治8年(1875年)の清への朝貢停止

琉球の不平士族(論)があばれだす→朝貢貿易の利権を失う。

士族たちは、清へ密航して援助要請を出した→尚泰王の密書はあったのか?(密書は偽造されたのか?)。独断の派遣?

明治政府側は、尚泰王の密書を確定していない。

尚泰王の孫も偽造文書だと言及。密書の現物は存在しない。尚泰王の派遣の証拠なく根拠もない。

幸地朝常(唐名:向ショウ徳宏)脱清人の主導者

戦争を呼び込もうとした逆臣。自分では戦っていない?自分の利権を守るために国家間の戦争をおこした?

明治12年1879年グラント将軍来日

分島問題は13年に決着。(石垣島、宮古島、ヨカッタネ!)

明治12年1879年廃藩置県。5月尚泰王、上京

・名城春傍(唐名  林世功)、北京で自刃。

 

(まとめ)

琉球は独立国ではなかった

清國の属国だったのか?

(そもそも「属国」の認識が違う。)

 

清國の外交制度

属国 禮部(文化・外交)の管轄

「日本・琉球・オランダ・ポルトガル・東南アジア・朝鮮・越南など海側」➡朝貢国、属国、通市國、互市國 ほぼ同義

藩部 理藩院の管轄

「モンゴル・チベット・ウィグル など陸側」

後の五族共和の枠組み

越南、朝鮮は例外的。属国でありながら藩部に近い位置。

漢の郡。近代の沸清・日清戦争。

 

日本の制度の琉球

薩摩の附庸國(1609年~1872年/明治5)

天皇直属の琉球藩 明治5年~12年

 

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<約42分>

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正直、琉球の歴史を知らないままできました。

でも、歴史は その時々の為政者によって都合よく解釈されていくのだな、と思いました。なれば、歴史の事実と真実は正しく認識していないとみすみす騙されてしまうことになって、不利益を被ってしまうのは・・つつましやかな庶民だなぁ・・と思いました。強く正しい為政者が現れますように。

 

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<追記:雑感>

やはり思う。

「琉球」「沖縄」の人々の言語。

いくら方言といえど、万葉の名残あり。

そして、文法も然り。

あきらかに「日本」由来だとわかる。

また、昨今ではDNA研究が指し示す。

遺伝子レベルの民族鑑定。

確かに大陸由来の血筋はあれど、

「日本」はもともとそれらの人々が同化してこの国を成り立たせてきている?(秦氏しかり)。

これもまた、凄いことだなと思います。

この「国」に来る人々は、まさに「日本」化してきた。

(思うに、それを可能にしてきたのが、「天皇」の存在なのかもしれませんネ)

 

どこの國の2世3世も、そのルーツを愛しながら、しかも生まれ育った國の文化風土言語をアイデンティとして生きているように思います。グローバルな世界もそれが、「愛」に基づくものであるならばむしろ「善」なるものであると思えます。されど、20世紀から芽を出し始めた「グローバル」は、國と國を戦わしめ、貧しい人々を虐げ、地球を廃土と化さんばかり。

結局、ひとにぎりの力あるものたちの導く今の世界は決してユートピアではない。誰のための「世界」だろう。

 

人間はあわれかな。

<神>なるものの認識をひとつ誤った先に待ち受けるもの。

「人」はあわれかな。

だれも、それからは逃げられない。

 

だけど、感謝す。

絶対的善なる「神」はいらっしゃって

まだまだ人類を見捨てていないことを知るのです。

その「神」の名を知る術も残されているのです。