ロマ書12:9~13「愛の勧め③13の勧告」<エゴホリックと謙遜> | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

ロマ書12:9~13

愛には偽りがあってはなりません悪を憎み、善に親しみなさい

 

10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい

 

11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい

 

12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい

 

13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい

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愛の勧め(3)

13の勧め

これまでに学んだ12章の内容は、① 献身の勧め(1〜2節)と② 謙遜の勧め(3〜8節)でした。今私たちは、③ 愛の勧め(9〜13節)について学んでいます。

 

「愛の勧め」の中には、13の勧告がされていますこれらの勧めを実行する力は、聖霊から来ることを覚えましょう

 

きょうは、勧告の④ と⑤ を取り上げます。

 

4.兄弟愛をもって心から互いに愛し合い(10節a)

翻訳の比較をしてみます。

兄弟の愛をもって互にいつくしみ、」(口語訳)、

兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、」(新改訳)、

兄弟愛をもって互いに愛し、」(新共同訳)。

 

(1)この節には、愛に関する2つの言葉が出てきます。

ともに「フィロス」という接頭が付いています。

 

① フィラデルフィアは、「兄弟愛」です。

② フィロストルゴスは、「親子愛」です。

 

信者は、神の家族として互いに愛し合うべきだというのです

 

(2)新約聖書の教えでは、兄弟姉妹への愛が未信者への愛よりも優先されます

 

パウロは、ガラテヤ6:10でこう教えています。

ですから、私たちは、機会のあるたびにすべての人に対して特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう」。

 

受けることよりも、与えること(奉仕すること)に留意しながらきょう一日を過ごそうではありませんか

 

5.尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい(10節b)

(1)パウロは、ピリピ2:3でこう教えています。

何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」。

 

初代教会の信者たちの特徴は、謙遜を最上の美徳として追及していたことです

 

(2)自己中心性(エゴホリック)が教会内の争いの原因となることを思えば、謙遜がいかに重要な信者の資質であるかが分かります

 

 

謙遜を身に付ける方法は

① 相手の内にキリストを見ること、また、

② 相手に対する敬愛と相手は自分よりもれているという認識を持つことです


クリスチャンはみなキリストの弟子です

 

弟子は師の生き方を観察し、そこから教訓を学びます

 

キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました

 

 人としての性質をもって現れ、自分をしくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました

(ピリ2:6〜8)

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きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。自己中心性が教会内に争いを作りますキリストの弟子として、謙遜を身に付けることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

民数記33~34マタイの福音書16

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2023年3月15日(水)

☀22℃/室温24℃/64%pm

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2023年3月19日(日)

☁19℃/am/室温23.9℃/湿度60%


最近は、

「ヨハネの黙示録」の朗読を聞きながら床に就きます。

以前はすぐに寝入っていたようですが、近頃は2~3回聞き直してしまいます。寝入るどころではなくなりました。

 

紛失したと思っていたCD(1~11章)がみつかって、2~3日前からはそればかり聞いています。

 

本日、ふと、「サルディスにある教会にあてた手紙」を聞いて、

まるっきり「私」?のこと?だと思ってしまいました。

 

あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる

・・・。

実は死んでいる!

 

だけど、あとに続く言葉になぐさめを得ます。

目を覚ませ!

死にかけている残りの者たちを強めよ!

 

この「教会」は神さまの目には何故「死んでいる」と映ったのでしょう? 以前に学んだようにも思いますがすっかり忘れています。・・。

 

とにかく、「あなたは死んでいる」と「自分」に言われたように感じたのでした。(__)汗

 

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新約聖書の教えでは、

兄弟姉妹への愛が未信者への愛よりも優先されます

(アーメン)

 

初めてこのお勧めにふれたとき、

とても安堵したことを覚えています。

とても「楽」になりました。

 

「未信者への愛よりも」

「兄弟姉妹への愛」が優先される。

アーメン!と叫びたくなりました。

 

あるいは、今、

神を否定する人たちでも

いつかは 神を愛する者となるのかもしれません。

でも、その「いつか」は私(たち)にはわかりません。

あるいは、最後まで神を否定し続けるかもしれません。

それも、わたし(たち)にはわかりません。

 

「神の愛」の実践に初歩は、まずに、

「神」の「愛」を知った人々の間で行われ得るのだと思います。

 

「神の愛」を認識できる人々との間でまず「実践」がなされ、「行い」として引き出されていくものなのだろうと思えます。

 

それはまた、段階的に、未信者へも開かれていくのだろうとも思えます。

 

神の家族の中で潤滑な関わりを得られれば得られるほどに、神の愛の領域と対象は無限に広がっていくのだろうとも思えます。

 

ただ、はっきりしていることは、

「善」と「悪」の区別。

 

神の愛の「峻厳」。

 

「裁き」もまた「神の愛」の内であることを知ります。

 

(雑感)

 

ハレルヤ

尊き主イエスの御名を崇め

御名によりて感謝いたします。

おねがい