ロマ書12:3~8「謙遜の勧め⑥御霊の賜物の行使Ⅲ」<指導、慈善>・・サーバントリーダーシップ | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

ロマ書12:3~8

3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい

 

4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、

5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです

 

6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。

 

7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。

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謙遜の勧め(6)

御霊の賜物の行使

今私たちは、「謙遜の勧め」について学んでいます。

賜物の行使に関して最も大切なことは、「霊的プライド」を排除することです

 

ローマ12:6 〜8では、7つの御霊の賜物が上げられています。① は預言すること、② は奉仕すること、③ は教えること、④ は勧めをすること、⑤ は分け与えることでした。

 

今回は、⑥ と⑦ を取り上げます。「私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい」(6〜8節)

賜物の⑥ は、「指導すること(あるいは、管理すること)」です

新約聖書が一貫して教えているのは、

「サーバントリーダーシップ」です

つまり、

の心をもって仕えるリーダーということです

 

イエスの弟子たちは、誰が一番いかという議論をしていました。それに対するイエスの教えは、明白です。

 

「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさいあなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい」(マタ20:25〜27)。


さらにイエスは、ご自分を例に取ってこう言われました。「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです」(マタ20:28)。

 

イエスこそが「サーバントリーダーシップ」の最高の例です

 

長老職に就く人は、この賜物を持っていなければなりません

 

賜物の⑦ は、「慈善を行うこと」です

これは、病人や貧しい人に助けの手を伸ばすことのできる能力です

 

再度言いますが、

すべての信者は愛を実践するように召されています

 

しかし、

この賜物のある人には、特に弱い人たちを助ける能力が与えられています

 

この賜物のある人は、喜んでそれを行うべきです

 

なぜなら、

助けを必要としている人は、すでに悲しみの中に置かれています

 

援助者が喜んで仕えていないなら、さらなる悲しみを与えてしまうことになるからです

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きょうの祈り

天の父なる神さま。サーバントリーダーシップを肝に銘じましたどうか私に、主イエスの足跡をたどらせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

民数記27~28詩篇21 ~ 22

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<3月2023:パンジー:カインズにて>

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2023年3月12日(日)☀21℃/am

 

すべての信者は愛を実践するよう召されている

(アーメン)

 

主イエスを受け入れ、

その赦しを受け取り、

主イエスの御霊と共に生き、

主イエスの再臨を待ち望む者の

究極の姿。

 

「神を愛し、人を愛する」

「神に仕え、人に仕える」

 

「己」を失うようで、

じつはそれこそが

「己」に生きることであることを

示されます。

 

「人」は本来、

そのように造られているのですネ。

 

だから、

本来の姿に戻るだけなのだ・・

と思えば・・・・

いささか「楽」かな?

 

祖先の失敗はあったにせよ、

いかんせん、

回復の道が用意されたのです。

 

本来の姿に戻るべき道が整えられた。

 

大手術は大成功したのです!

そして、

わたし(たち)は

主イエスさまを食べて飲んで

主イエスさまを完全に移植して

完全な健康体に回復されていく。

 

日々、回復されていく。

 

ハレルヤ

尊き主イエスの御名によって

常に喜び絶えず祈りすべてのこと感謝し、

主イエスによって

父である神に感謝いたします。

おねがい

 

どうか、今日一日も

主の御声を聞かせ給え。