ロマ書12:1~2
1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。
あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
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献身の勧め(3)
勧告の内容
「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい」。
(1)この献身の勧めには、明らかに旧約聖書の背景があります。
「ささげる」は、ギリシア語で「パラステイミ」です。旧約聖書のギリシア語訳聖書(七十人訳)は、「いけにえをささげる」という動詞を「パラステイミ」と訳しています。
(2)旧約時代と異なるのは、ささげるのが「からだ」だということです。
「からだ」は、内なる人を宿す器です。また、聖霊の宮でもあります(1コリ6:19〜20)。
つまり、
「からだを、…ささげなさい」とは、自分の全存在をささげるという意味です。
(3)「生きた供え物として」とあります。
旧約時代の供え物は、死んだ動物でした。
新約時代の供え物は、他の命を犠牲にしないものです。それは、自発的な供え物です。
(4)「聖い、…供え物として」とあります。
神のために選び分かち、ささげるがゆえに、それは「聖なる供え物」となります。
(5)「神に受け入れられる、…供え物」とあります。
自発的な供え物であるがゆえに、神に受け入れられるのです。
勧告の結論
次に勧告の結論を見てみましょう。3つの訳を比較します。
「それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」(新改訳)、
「これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(新共同訳)、
「それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である」(口語訳)。
(1)「霊的な」、「なすべき」、「なすべき霊的な」と3種類の訳がありますが、ギリシア語では「ロギコス」というひとつの言葉です。
「ロゴス」は、言葉、理性という意味ですが、「ロギコス」は、神の恵みを熟慮した結果、全的献身は理性的な決断であるとの結論に達したという意味になります。
英語では、
「reasonable」、「rational」などの言葉がぴったりでしょう。
(2)またこの礼拝は、「霊的な」ものでもあります。
旧約時代のいけにえは、「殺されたいけにえ」でした。
新約時代のいけにえは、「自発的ないけにえ」です。
そういう意味で、これは「霊的な」礼拝なのです。
(3)「礼拝」は、ギリシア語で「ラツレイアン」です。
これは、奉仕のことであり、キリストにあって行う業のすべてを指します。
英語では、「service」がこれに相当します。
「service」は、礼拝と奉仕の両方を意味しています。
今、自発的献身について考えてみましょう。
献身は、すべてのクリスチャンが実行すべきものです。
献身の喜びを知っている人は幸いです。
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きょうの祈り
天の父なる神さま。今私の全身全霊を、あなたの恵みに対する応答して、御前におささげします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
民数記7~8、マタイの福音書7
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2023年3月2日(木)☁18℃
(雑感)
つい、
数日前から思わされていること。
単純に。
素直に。
ということ。
願いなさい、というので、願い、
求めなさい、というので、求める。
そんなホントに単純な、
信じて疑わない在り方への回帰。
「知識」は人を誇らせる、ともありますが、それでも、ただひたすらに「知識」によって信仰の在り方が変わるのだとわたしは思った。
ほんの数日前から、ふと思い始めた。
「単純に」「証しする」、道。
そういえば、と
ガラテヤ書を思い出す。
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ガラテヤ4:15(新共同訳)
あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。
ガラテヤ3:4(新共同訳)
あれほどのことを体験したのは、無駄だったのですか。無駄であったはずがないでしょうに-----。
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引用します。
※新実用聖書注解1641p※
ガラテヤ諸教会の誕生は、福音の言葉と共に働かれる御霊ご自身の助けによるもので、〈御霊で始まった〉のである。
※BIBLEnavi1317p※
あなたは喜びを失ったことがあるか。
ガラテヤ人は、律法主義のゆえに、救いの喜びを失ってしまった。律法主義は喜びを奪う。
それは以下の理由による。
(1)律法主義は人々を、愛されていると感じるよりも、責められているように感じさせる。
(2)謙遜ではなく、自己嫌悪を生じさせる。
(3)どのような関係にあるかよりも、何を行ったかを強調する。
(4)どのようになることができたかよりも、どれほど及んでいないかを指摘する。
責められているように感じ、不適当であると感じるなら、あなたの焦点がどこにあるか確認しよう。
あなたはキリストに対する信仰によって生きているだろうか。
他の人の要求や期待にこたえようと努力することによって生きていないだろうか。
(以前にも引用した箇所のような気がします(._.))
※クレイ聖書解説コレクション:<抜粋>
ガラテヤ人への手紙p27、31,38,40,41※
ガラテヤ人たちは、キリストを信じて、それまでの偶像礼拝をきっぱりと捨てました。その結果、他のガラテヤ人たちからの迫害を経験しました。
彼らは、信仰による救いを体験したがゆえに、苦しみにあったのです。
もしユダヤ主義者たちが言うように、律法を行うこと(割礼を受けること)が救いの条件であるなら、彼らはいまだに救われていないことになり、福音のために苦しんだ彼らの体験は、むだだったことになります。パウロは、そんなことはあり得ないと叫ぶのです。(略)
クリスチャンが所有しているものはすべて、信仰によって神から与えられたものです。これは、一貫した聖書の教えです。
自分の内に、単純な福音の真理を複雑にしている点がないかどうか、自己吟味をしてみましょう。
私たちは、信仰によって救われ、信仰によって聖化されていきます。私たちの救いは、最初から最後まで、神のわざによるのです。
旧約聖書は、一貫しています。
キリストに対する単純な信頼と、みことばに対する深い思索とを、バランスよく追及していきましょう。
自分が、信仰によって救われ、信仰によって御霊を受けていることを告白しましょう。
パウロは、偶像のことを、「本来は神ではない神々」と言っています。
ガラテヤ人たちは、真の神を知った結果、偶像礼拝がもたらす束縛から解放され、自由の子とされました。
(略)
それなのに彼らは、信仰によって与えられた自由の価値を忘れ、それを放棄して元の幼稚な教えに戻ろうとしていたのです。
パウロがガラテヤで宣教するに至ったきっかけは、健康上の理由からでした(彼には眼病があったと推察されます)。最初彼は、伝道目的でガラテヤを訪問したわけではありません。病のためにそこに滞在せざるを得なかったのです。これもまた、主の導きです。
その時ガラテヤ人たちは、パウロを軽蔑したり嫌ったりはしないで、まるで「神の御使いのように、また、キリスト・イエスご自身であるかのように」彼を迎えました。
そして彼らは、パウロの説く福音を受け入れ、喜びに満たされました。それは、聖霊ご自身に導かれたキリストにある喜びでした。さらに彼らは、パウロのためなら自分の目をえぐり出して与えてもよいというほどの愛を彼に示しました。
ガラテヤ人たちにこれらのことを思い起こさせたパウロは、「それなのに、あなたがたのあの喜びは、今どこにあるのですか」と語気を強めます。彼らが方向転換したことを嘆いているのです。
あなたはいかがですか。
福音を受け入れた時のあの喜びを忘れ、何か別のものによって心を満たそうとしてはいませんか。
あなたがささげる礼拝は、形式的なものになっていませんか。
(略)
熱心な人が必ずしも正しいわけではありません。
その熱心さが、真理に基づくものなのか、また、聖霊によるものなのかを見抜く必要があります。
真のクリスチャンの交わりは、福音を土台としたものであることを覚えましょう。
お互いの中に、「キリストが形造られる」ことを願いながら、励まし合いましょう。
(アーメン)
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引用したいと思ったきっかけのお勧め。
キリストに対する単純な信頼と、
みことばに対する深い思索とを、
バランスよく追及していきましょう。
「キリストに対する単純な信頼」
「みことばに対する深い思索」
そのバランス。
「単純な信頼」と「深い思索」。
そのバランス。
主イエスさまの御名を崇めて
感謝いたします。
ハレルヤ
呪いを祝福に変えたもう主に信頼し、
感謝いたします。
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自分の内に、単純な福音の真理を複雑にしている点がないかどうか、自己吟味をしてみましょう。
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