ロマ書11:17~24
<新共同訳>
【異邦人の救い】
17しかし、ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたがたが、その代わりに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになったからといって、
18折り取られた枝に対して誇ってはなりません。
誇ったところで、
あなたがたが根を支えているのではなく、根があなたがたを支えているのです。
19すると、あなたは、
「枝が折り取られたのは、わたしが接ぎ木されるためだった」と言うでしょう。
20そのとおりです。
ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。
思い上がってはなりません。
21神は、自然に生えた枝を容赦されなかったとすれば、恐らくあなたをも容赦されないでしょう。
22だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。
倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう。
23彼らも、不信仰にとどまらないならば、接ぎ木されるでしょう。神は、彼らを再び接ぎ木することがおできになるのです。
24もしあなたが、もともと野生であるオリーブの木から切り取られ、元の性質に反して、栽培されているオリーブの木に接ぎ木されたとすれば、
まして、元からこのオリーブの木に付いていた枝は、どれほどたやすく元の木に接ぎ木されることでしょう。
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異邦人への警告(1)
17 〜18節
イスラエルの救いを論じてきたパウロは、きょうの箇所で異邦人に警告を与えています。
「もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです」。
(1)これは、不自然な接ぎ木です。柿の場合でも、渋柿の幹に甘柿の枝を接ぎ木します。オリーブの接ぎ木もそれと同じです。通常は、野生種の木に栽培種の枝を接ぎ、そこに粘土をかぶせ、布で覆います。パウロの例話にある接ぎ木は、園芸の専門家なら絶対にしないものです。そのため、パウロは接ぎ木については素人だと酷評する人もいます。
(2)しかし、パウロの狙いはまさにこの「不自然さ」にあります。
異邦人の救いは、あり得ないことが起こったのだというのがパウロの論点です。
24節になると、「もとの性質に反して」という言葉が出てきます。
例話の内容
(1)折られた枝とは、レムナントではないイスラエル人、つまり、不信仰なイスラエル人のことです。
(2)接ぎ木された野生種の枝とは、異邦人信者のことです。
(3)「ともに受けている」とは、レムナントとともにという意味です。つまり、異邦人信者が、レムナントとともに祝福を受けているのです。
(4)オリーブの木とは、イスラエルのことではありません。イスラエルはこの木の所有者です。
(5)この木(根の豊かな養分)は、霊的祝福の源です。
これは、アブラハム契約(神がイスラエルと結んだ契約)のことです。
異邦人は、アブラハム契約の祝福に接ぎ木されたのです。
例話の適用
「あなたはその枝に対して誇ってはいけません」。
(1)異邦人信者には、誇りとするものは何もありません。
私たちが救われたのは、すべて神の恵みによることです。
誇ってはならないというのは、当然のことです。
(2)それでも誇る異邦人がいるなら、このことを知るべきです。「誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです」。
異邦人信者は、根(ユダヤ人の契約であるアブラハム契約)によってささえられているのです。
(3)自分が救いに入れられたことを当然と考えてはなりません。
本来あり得ないことが起こったのです。
それは、すべて神の恵みによることです。
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きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私が救われたのは、本来あり得ないことです。それゆえ、誰に対しても誇ることはできません。あなたの恵みに感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
レビ記14 ~ 15、ヨハネの福音書21
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<2月2023:花調べ中:歩道脇にて>
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2023年2月23日(木)☀20℃
(雑感)
オリーブの木とは、イスラエルのことではありません。イスラエルはこの木の所有者です。
そうだったんですネ!?
今まで、「オリーブの木」は「イスラエル」のことだと思ってきました。
これは、アブラハム契約(神がイスラエルと結んだ契約)のことです。
異邦人は、アブラハム契約の祝福に接ぎ木されたのです。
「異邦人はアブラハム契約の祝福に接ぎ木された」。
(どこがどう違うのか、というコトデスケドも、何に接ぎ木されたか、その根は何か、明確に知っておくことは大事ですネ。感謝。)
アブラハム契約。
神のアブラ(ハ)ムに対する契約は、子孫の繁栄と約束の土地の贈与をそのおもな内容とするものであり、契約という言葉は直接には使われていないが、すでにアブラ(ハ)ムの召命の時に始まっている(創12:1-3、7、13:14-17)。
---新実用聖書注解142p--
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創世記12章1-3節
1主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷
父の家を離れて
私が示す地に行きなさい。
2わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める。
祝福の源となるように。
3あなたを祝福する人をわたしは祝福し、
あなたを呪う者をわたしは呪う。
地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る。」
創世記13章14-17節
14さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。15見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。
16あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。
17さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」
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(アーメン)
最も印象に残るフレーズ、
そして勇気を頂ける気がするお言葉。
「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、
あなたを呪う者をわたしは呪う。」。
これって、日々、体感?体験?します。
「わたし(たち)」と関わる人々は、共に、主の恵みと守りに与っていかれるように思えます。事実、そのようになっている気がします。
「クリスチャン」も、やはり、「祝福」を運ぶ「器」であることを知らされます。
わたし(たち)が、主イエスさまに留まっている限り、その恩恵は、わたし(たち)のみならず、わたし(たち)と関わる人々へと伝わっていく。わたし(たち)の状態がどうであろうとも、わたし(たち)が主イエスさまにしっかりとつながっている限り。
それを知り、感じるにつけ、いよいよますます、主の恵みを覚えて感謝せざるをえなくなります。そしてさらに主への「畏れ」にも似たものも同時に覚え、一瞬、身の引き締まる思いにもなります。
本当に、
主イエスさまにつながって在る、ということは、なんと素晴らしいことなのでしょう。
日々の時間を生きる中で、
なにかと呟きがちになりますが、
ひとたび、主のご恩寵に目を向けるなら、
「数えてみよ、主の恵み!」と
前向きな心と勇気を頂ける気がします。
本当に、
ありがたいです。
嬉しいです。
イエスさま ありがとう。
今日はとても良いお天気です。
そして 公休日。
今上天皇の生誕を祝う日です。
令和の御代の良き日に感謝です。
今上天皇をお守りくださいますように。
平和な日本をお守りくださいますように。
日本人をお守りくださいますように。
主の御心がなりますように。
尊き主イエスに御名を崇め
主イエスによりて
父である神に感謝いたします。
ハレルヤ