ロマ書9:1~5「パウロの悲しみ」<不可能な願い>・・滅びゆく者のための痛み | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

ロマ書9:1~5

1 私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。

 

2 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります

 

3 もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。

 

4 彼らはイスラエル人です子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです

 

5 父祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです

 

このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。

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パウロの悲しみ

1〜2節

9章の冒頭で、パウロは自分の心情吐露しています

「私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります」

 

(1)これは、真実な告白です。「キリストにあって」とありますが、キリストは真理そのものです「キリストにあって」を言う人はいません

 

(2)次にパウロは、「真実を言い、偽りを言いません」と、同じ意味の言葉をくり返しています。

 

(3)パリサイ派の伝統では、あることを証明するためには、2 〜3の証人の証言が必要です

 

パウロは、「私の良心」(キリストにある良心)と「聖霊」(内住の聖霊)とを証人に呼び出し、らの告白が真実であることを強調しています

 

(4)告白の内容は、「大きな悲しみ」があり、「絶えず痛みが」あるということです。それは、同胞の救いに関する悲しみ痛みです。

 

3節

「もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです」

 

(1)「もしできることなら」とありますが、これが不可能な願いであることは、彼自身が一番よく知っていました。

 

彼は、「キリスト・イエスにある神の愛から切り離されることはない」と宣言していました

 

(2)「私の同胞、肉による同国人のために」とあります。

 

パウロが感じている悲しみと痛みは、人類一般に関するものではなく、イスラエル人のための痛みです

 

(3)彼は、イスラエル人のためなら、「のろわれた者となることさえ願いたい」と言います。のろわれた者は、ギリシア語の「アナテマ」で、新共同訳は「神から見捨てられた者」と訳しています。

 

ヘブル語の「ヘレム」を七十人訳聖書(旧約聖書のギリシア語訳)は「アナテマ」という言葉に訳しました。ちなみに、「ヘレム」という言葉はヨシュア記6:17に出てきますが、新改訳はそれを、「聖絶」という造語で訳しています。


パウロの痛みは、神の痛みを体現したものと言えるでしょう

 

パウロは、「キリストの使節」として語っています(2コリ5:20参照)。

 

キリストの愛が、パウロを取り囲んでいるのです(2コリ5:14参照)。

 

 

私たちの内に、パウロが感じたような痛みがあるかどうか、吟味してみましょう

 

イスラエルの救いのために、また、同胞の救いのために、祈ろうではありませんか

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きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。あなたは滅びゆく者のために痛み、悲しんでおられますどうかあなたのお心を私の心とさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

出エジブト記 1~2ヨハネの福音書 3

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<1月2022:お花屋さんにて>

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2023年1月26日(木)

(☀/20℃/pm12)

(☁/18℃/室温23℃/湿度51%/pm23)

 

事務デスクの端にSONYプレイヤー。

”TV”にしたら、”国会”中継でした。

 

なんでもよかったのデス。

ただ、旁に「音」を求めただけ。

 

「タマキ」?さんの質問になった。

聞くともなしに聞いてると、

へぇ~、いいじゃない?

と 思えて来た。

 

先にたった人よりも、

後にたった人よりも

この方の質問の方が

私にはわかりやすかった。

身近に感じたのでした。

 

給料は上がらず、

物価は高騰していく。

さらに増税、増税。

どんな暮らしをしろというのだろう。

 

まるで昔昔の年貢の取り立てみたい。

「牛、馬」になりなさい!ってか。

ただただ!納めなさい!ってか。

・・・・。

(-.-)

 

だけど、やっぱり、

読み上げるだけの答弁は

ちょっと、退屈ネ。

ぼけー汗

 

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(雑感)

わたしたちは

「霊的」世界を垣間見ながら

しっかりと

「肉体」ある身を生きなければならぬ。

 

食べねばならぬ。

着なくてはならぬ。

住まなくてはならぬ。

 

そのすべては「マネー」。

「お金」なしには「命」を保てない。

でなければ、

「死になさい」と宣告されたようなもの。

 

でも、不思議なもので、

「聖書」には、こうあるのです。

 

だから言っておく。

自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、

また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。

命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

 

空の鳥をよく見なさい。

種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。

だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。

あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

 

あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

 

なぜ、衣服のことで思い悩むのか。

野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。

働きもせず、紡ぎもしない。

 

しかし、言っておく。

栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

 

今日は生えていて、明日には炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。

まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。

 

だから、

『何を食べようか』

『何を飲もうか』

『何を着ようか』

と言って、思い悩むな

 

それはみな、異邦人が切に求めているものだ。

 

あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである

 

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい

そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる

 

だから、明日のことまで思い悩むな

明日のことは明日自らが思い悩む

その日の苦労は、その日だけで十分である

 

マタイ福音書6章25~34節

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」

「そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」

 

ついつい、「手段」を「目的」にしてしまう過ちを繰り返す。

 

「神の国と神の義」を求めるものにこそ、「これらのもの」が「加えて」「与えられる」。不思議なことですね。

 

神さまにとっては、

わたし(たち)の「命」のほうが

より大切だとおっしゃってくださっています。

 

「信仰」をもって「み言葉」を真摯に生きるとき、その「御言葉」が成っていくさまを目撃する。

 

「御言葉」が「御言葉」を証明していく。神は真実。

 

(ヨハネ福音書1章1~3節)

初めに言(コトバ)があった

(コトバ)は神と共にあった

(コトバ)は神であった

 

この言(コトバ)は、初めに神と共にあった

 

万物は言(コトバ)によって成った

 

成ったもので

(コトバ)によらずに成ったものは

何一つ無かった

(アーメン)

 

信じる私(たち)は

昨日も今日も明日もそのまた明日も

神さまの不思議を生きる者とされました。

 

 

ハレルヤ

尊き主イエスの御名を崇めて

感謝いたします。

おねがい