マタイ福音書24:27~28
27稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。
28死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ。
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創世記15:11
禿鷹がこれらの死体をねらって降りて来ると、アブラムは追い払った。
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「死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ」
以前から、この聖句の意味がどうにもわかりませんでした。
とある先生の解説を受けて、一時は納得してもすぐに忘れてしまっています。
本日、「clay」さんのお勧めのままに「創世記15章」を通読し始めましたら、11節で目が留まりました。
「アレ?ここにも『はげ鷹』と『死体』あるじゃない?」
アブラムの前に置かれた「死体」は、
「三歳の雌牛、三歳の雌山羊、三歳の雄羊、山鳩、鳩のひな」
それらは「真っ二つ」に切り裂かれ、「それぞれ互いに向かい合わせて」置かれた。「ただ鳥は切り裂かなかった」。
これは、古代の契約の形式でもあるそうですネ。
アブラムがまさに「主」との契約を結ばんとする時、そこに、「はげ鷹」が空から舞い降りて来て「死体」らを狙った。
するとアブラムは、それらの猛禽たちを「追い払った」。
アブラムは「追い払った」!
当然ですね。当然!
もし、わたし(たち)のクリスチャン生活にあって「猛禽」「はげ鷹」が意味するものは、邪悪なもの、サタンとか悪霊とか呼ばれるものではなかろうか、と思いました。
アブラムは当然のこと、反射的に、「追い払った」!のですよね。その行為を想像して、私は、つい、「そうかぁ!」と思ってしまったのでした。
この世界はいまだ「邪悪」なる者の支配下にあることをついつい忘れがちに過ごしてしまっていて、自分ばかりを責める傾向にもあるけれど、実際は、常に、そのようなものからの目にみえぬ攻撃にさらされ狙われ続けているのですよね。
実際そうなんだ!と強く説教してくださる牧師先生方も多くいらっしゃいますネ。
ほんと、神との契約をぶち壊そうとする面々を日々追い払う、それも理屈や頭ではなく「反射」的に追い払う。霊的、感覚的な強さを備えなければいけないなぁと思わされた次第でありました。
「自分=エゴ」という敵もさることながら、本当の外敵の存在も忘れてはならないのですヨネ。
この箇所の正しい聖書的解釈はちょっと横に置かせて頂いて、
ただ、今回、私的にただに私的に教えられたのでした。
ここに簡単に記録することにしました。
ハレルヤ
主イエスさまの聖名によって
感謝いたします。