ロマ書5:11
11 そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。
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義認の喜び(9)
神に関する誇り
これまでにパウロは、義認の喜びについて4つの祝福を上げてきました。
① 神との平和(1節)、
② 恵みへのアクセス(利用する権利)(2節a)、
③ 栄光の希望に関する誇り(2 節b)、
④ 今の時の忍耐心(3 〜10 節)。
そして、きょうの箇所で5番目の祝福が語られます。
⑤ 神に関する誇り(11節)がそれです。
「それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです」(11節、新共同訳)。
(1)11節の「そればかりでなく」(新改訳)は、3節の「そればかりでなく」と並列関係にあります。つまり、6 〜 10節の感動的脱線が終わったことを示しています。パウロは11節で、元の文脈に戻ったのです。
(2)「それだけでなく」(新共同訳)という言葉が示している意味は、「神の栄光の望みを誇りとするだけでなく、患難さえも誇りとする。さらに、神ご自身を誇りとする」ということです。
(3)神ご自身を誇りとする理由は、キリストを通して神と和解させられたからです。それゆえ、キリストによって(あって)神を誇るのです。
神に関する誇りの具体的内容
神に関する誇りは、義認の結果として与えられているものです。
神を誇るとは、具体的にどのようなことなのか、考えてみましょう。
(1)私たちは、神の存在そのものを喜ぶ者とされました。
神がおられるという事実を知ることは、なんという喜びでしょうか。
(2)私たちは、神の性質を黙想し、神を喜ぶ者とされました。
神の性質は、義、聖、憐れみ、真実、愛などです。
(3)私たちは、神が自然界を支えておられることを認め、神を喜ぶ者とされました。
(4)神ご自身を喜ぶことは、罪人にはない感覚であり、体験です。信者だけが、その喜びを持っています。
「あなたがたはイエス・キリストを
見たことはないけれども愛しており、
いま見てはいないけれども信じており、
ことばに尽くすことのできない、
栄えに満ちた喜びにおどっています。
これは、信仰の結果である、
たましいの救いを得ているからです」
(1ペテ1:8 〜 9)。
この聖句の体験は、私たちクリスチャンのものです。
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きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。義認の恵みを受けた私には、あなたご自身を誇り、喜ぶという特権が与えられています。私を愛してくださり感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
ネヘミヤ記7~8、ヨハネの手紙 第一5
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2022年12月14日(水)☁18℃
室温23℃/湿度49%
外気温18℃、といえば、
ここ南国の「冬」到来を感じさせる
肌温度でアリマス。( *´艸`)
ようやくの「季節感」でアリマス。
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「神ご自身を喜ぶことは、
罪人にはない感覚であり、体験です。
信者だけが、その喜びを持っています。」
アーメン。
「神ご自身を喜ぶこと」
この幸いが与えられています。
感謝です。
私的に、
小学生の頃から不思議に思っていました。
「クリスマス」って何をお祝いするのだろう?
わたしたちは、「サンタクロース」の恩恵に与ったことはありません。
子どもの頃、目が覚めたらサンタクロースさんからプレゼントがあった!なんてことありませんでした。ちょっと寂しいですけどネ。それだけ、生活にキュウキュウとした一家でしたヨ。
中学生になっても、やはりその疑問は抜けませんでした。
「お正月」とは違って、お祝いする感覚がつかめませんでした。
「クリスマス」って何?
でも、不思議なお導きで
主イエスさまを知るに至りました。
ここにきて、ようやく、
「クリスマス」の「日」を「祝う」心がわかりました。
されど、近年は、その
「クリスマス」も、実は、
ユダヤ的なものではなく、西欧社会の偶像の祭りから由来しているのだという説を知り、興ざめとなっていくのでありました。
されど・・・、
主イエスさまがこの世にお生まれになった事実は不変の真実です。大いなる御子の誕生を祝いたくなるのは当然なのです。
「神ご自身を喜ぶこと」
これは、クリスチャンに与えらえた特権ですね。
感謝です。
尊き主イエスの御名によって
讃美感謝申し上げます。
ハレルヤ!