ロマ書5:6~10「義認の喜び(7)」<クリスチャンとは神の愛を信じ受け入れた人> | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

ロマ書5:6~10

<新共同訳>

信仰によって義とされて

6実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった

 

7正しい人のために死ぬ者はほとんどいません善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません

 

8しかし、わたしたちがまだ罪人であったときキリストがわたしたちのために死んでくださったことにより神はわたしたちに対する愛を示されました

 

9それで今やわたしたちはキリストの血によって義とされたのですからキリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです

 

10敵であったときでさえ、御子(みこ)の死によって神と和解させていただいているのであれば和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです

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義認の喜び(7)

感動的脱線

6〜 10節までは、文脈から脱線した箇所です。

 

「神の愛」について触れたので、パウロは感動のあまり、そのテーマの展開に入っていったのでしょう。

 

6節にはこうあります。

私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました」。

 

(1)「弱かったとき」とは、神に応答する力がなかったときという意味です

 

この言葉は、病人に使う言葉です。肉体的に弱いという意味なのですが、それが道徳的な弱さを示す意味で使われています。

 

「私たちがまだ弱かったとき」とは、私たちが神の教えや愛に応答できなかったとき、つまり、私たちが受動的な意味での罪人であったとき、という意味です

 

(2)「定められた時」とは、あらかじめ決定されていた時という意味です。

 

それは、人類の罪に対する神の怒りが限界に達した時のことですその時神は、ご自身の怒りを御子イエスの上に注がれました

 

(3)そのような時に、キリストは私たち(不敬虔な者)のために死んでくださいました

 

能動的な罪人のために

7 〜 9節にはこうあります。

正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう

 

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます

 

ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです


(1)罪人であったとき」とは、神に敵対していたとき、という意味です

 

これは、私たちが能動的な意味での罪人であったことを示しています

 

そのような時に、キリストは私たちのために死んでくださいました

 

(2)さらにパウロは言います。

敵のために死ぬ人はいない

正しい人のためでも死ぬ人はいない情け深い人の場合は、そういう可能性もある」と。

 

キリストの死は、常識ではありえないことです

 

なぜなら、キリストは私たちが能動的罪人であった時に、死んでくださったからですそれによって神は、私たちに対する愛を明らかにされました


御子イエスの死によって示された神の愛は、私たち人間には想像すらできないことです

 

クリスチャンとは、その愛を信じ、受け入れた人のことです

 

私たちの救いは、神の愛によって始まり、神の愛によって完成へと導かれます

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きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。私は、あなたの愛によって救われ、あなたの愛によって運ばれていますこの祝された位置に私を置いてくださったことを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

ネヘミヤ記3~4、ヨハネの手紙 第一3

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2022年11月24日(木)☁23℃

室温24℃/湿度64%

 

今日も目覚めることができました。

主イエスの御名によって感謝いたします。

 

今回の箇所では、

「きょうの祈り」の文言に心打たれました。

私は、あなたの愛によって救われ、あなたの愛によって運ばれています

 

この祝された位置に私を置いてくださったことを感謝します

この「言葉」を覚えて

毎日の祈りの一言に加えていきたいと思いました。

なんと素晴らしい祈りの言葉でしょうか、と思いました。

「clay」さん、ありがとうございます。(^-^)キラキラ

 

あなたの愛によって運ばれています

なんて素敵な響きでしょうか。

この祝された位置に私を置いてくださった

なんて励まされる言葉でしょうか。

 

癒しと慰めと励ましが

一挙に胸に迫り滲みわたります。

 

「自分」がどういう者であるか、

どういう者にさせて頂いたかを、

再認識させられるように思いました。

 

あなたの愛によって運ばれ

この祝された位置に置かれた「私」。

このような者にさせて頂いているのだと

日々認識を新たにしたいと願いました。

 

キリストの「死」と「復活」によって

われらは生かされています。

 

この「恵み」の尊さを

常に忘れることのないように

頭に刻み、手に結び、

家に座っている時も

道を歩く時も

寝ている時も

キリストによって示された

神の愛を覚えて喜びたいです。

 

我等は贖われ、

主とともに、

神の愛を生きるものとなった。

 

尊き主イエス・キリストの御名によって

感謝いたします。

ハレルヤおねがい