ピリピ書4:13〔究極的な可能思考〕「我を強くし給ふ者によりて、凡ての事をなし得るなり」 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

<聖句雑感>

フィリピの信徒への手紙

4章13節

<文語訳>

我を強くし給ふ者によりて、凡ての事をなし得るなり

 

<新共同訳>

わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です

 

<TEV訳>

I have the strength to face all conditions by the power that Christ gives me.

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前後の聖句も見てみました。

 

<ピリピ4:10~14>

贈り物への感謝

10さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。

 

11物欲しさにこう言っているのではありません。

わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです

 

12貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています

 

13わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です

 

14それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。

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昨晩の集会で紹介された御言葉でした。

師曰く、「覚えて下さい」。

 

我を強くし給ふ者によりて、凡ての事をなし得るなり」。

これもまた、自分都合な解釈をしてしまうと危険かもしれませんネ。パウロ先生の言う、「凡ての事」とは、「自分の置かれた境遇」のことのようです。どんな境遇、どんな状況にあっても、「対処する秘訣」を得ている、ということが「強い」ことなのだと教えられる。

 

わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です

 

「目先のことにいちいち動じないように」と教えられている気がします。主イエスさまがよくおっしゃっている。「平安あれ」。

この「平安」という境地。これが「強さ」の源かもしれません。

そして、この「平安」を主イエスは与えると約束しました。

 

ヨハネ福音書14:27

<新共同訳>

わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。

 

<文語訳>

われ平安を汝らに遺すわが平安を汝らに與ふ。わが與ふるは世の與ふるが如くならず、なんぢら心を騒がすな、また懼るるな。

 

<TEV訳>

''Peace is what I leave with you; it is my own peace that I give you. I do not give it as the world does. Do not be worried and upset; do not be afraid.

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少し長いですが、引用します。

 

BIBLEnavi1356-1357p

4:10-14

どんな境遇に直面しても、あなたは幸せに(満ち足りて)暮らすことができるか

 

パウロは、豊かさの中にいようと、貧しさの中にいようと、満足する方法を知っていたその秘訣は、強さをキリストの力に頼ることだった。

 

あなたには大きな必要があるか。

あるいは欲しいものを持っていないので不満だろうか。

 

神の約束とあなたが満ち足りるのを助けてくださるキリストの力に信頼することを学ぼう。

 

もしあなたが常にもっと欲しいと思っているなら、その欲望を取り除いてくださるようそしてあらゆる境遇において満足する方法を教えてくださるよう神に求めよう

 

神は必要のすべてを満たしてくださるが、あなたにとって最善であると知っておられるやり方においてである(4:19の注参照)

 

※4:19

神はいつも私たちの必要を満たしてくださると、私たちは確信することができる。地上で私たちが必要なものは何でも、たとえそれがパウロのように死に直面する勇気であっても、神はいつも満たしてくださる。天において私たちに必要なものは何でも、神は満たしてくださる。

 

けれども、欲望と必要の違いを忘れないようにしなければならないたいていの人は心地よいことを望み、不快や苦痛を避ける

私たちは、欲するすべてのものを手に入れないかもしれない。

キリストを信じることによって、私たちの態度と願いは、すべてを欲することから、神の備えと神のために生きる力を受け入れることへと変わることが可能なのである

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4:12,13

パウロは、神の観点から人生を理解することができたので幸せに暮らすことができた。彼は、自分が所有すべきものにではなく、自分が行うべきことに集中した。パウロは優先順位を決めており、神から与えられたすべてのものを感謝した

 

パウロは永遠のものに集中できるよう重要でないものから距離を置いていた

 

より多くそしてより良いものを所有したいという欲望は、多くの場合、実際には人生における空虚な部分を満たしたいという願望である心の中が空しいとき、あなたは何に引き寄せられるか

 

あなたは本当の満足をどのようにして見出すことができるか

 

答えは、あなたの観点に、あなたの優先順位に、そしてあなたの力の拠り所にある

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4:13

キリストとの一致において私たちが受けた力は、神の御心を行い、それを行うことに打ち込むことから生じる難題に取り組むのに十分である。

 

神の益を考えることなく、私たちに想像できることを何でも成し遂げる超人的な能力を、神は私たちに与えておられない

 

信仰のために戦うにつれて、困難や圧力に直面する。それらがやって来るとき、あなたを強くしてくださるようキリストに求めよう。

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<クレイ聖書解説コレクション

「ピリピ人への手紙」46p>

(一部抜粋)

順境や逆境を通してパウロが学んだことは、次の真理です。

 

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです

 

 与えられた状況を神からのものとして受け取り、キリストの力によってどんな境遇にでも対処しようと心がけるのは素晴らしいことです。

 

究極的な可能思考がここにあります。

それは

(1)キリストの助けによって

(2)私はどんなことでもできる

というものです。

 

 このような積極的な生き方が自分のものになっているかどうか、自己吟味してみましょう

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BIBLEnaviさん

そしてクレイさんの解説に感謝致します。

(^-^)

 

「究極的な可能思考」

 

なるほどでした。

 

御霊の実の一つ、「忍耐」。

「人」は、「耐えられる」!

のだナ・・。

 

「キリストの助けによって」

「私はどんなことでも」

耐えられる?!かな・・・。

 

そう思うと、また、

有名な聖句が頭をよぎってきました。

(-.-)。。。

 

「御言葉」にはキリがありません。

考えてみれば、凄いことですネ。

 

神さまは、なるほど、

「人」の弱さをよくご存知なのですネ。

 

「逃げ道」をもつくってくださっている。

なんと、なんとな、お方なのです。

 

ハレルヤ

主イエスさまの御名によって

感謝いたします。

おねがい

 

昨晩の集会での「み言葉」に

感謝いたします。

 

講壇に立たれる先生方を

祝してくださいますように。

 

麗しさの極みなるシオンより

光をはなちてくださいますように。

(詩篇50)

 

私たちの集いをどうか祝福してください。