ロマ書3:9~20「すべての人は罪人(1)」<正しい者は一人もいない>・・それでも背を向けない神 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

ロマ書3:9~20

<新共同訳>

正しい者は一人もいない

9では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです

 

10次のように書いてあるとおりです。

 

正しい者はいない一人もいない

11悟る者もなく神を探し求める者もいない

12皆迷いだれもかれも役に立たない者となった。  善を行う者はいないただの一人もいない

13彼らののどは開いた墓のようであり

彼らは舌で人を欺きその唇には蝮の毒がある

14口は呪いと苦味で満ち

15足は血を流すのに速く

16その道には破壊と悲惨がある

17彼らは平和の道を知らない

18彼らの目には神への畏れがない。」

 

19さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人々に向けられています。それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためなのです

 

20なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです律法によっては、罪の自覚しか生じないのです

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すべての人は罪人(1)

パウロの論理展開

ここまでのパウロの論理展開を復習してみます。

 

パウロは、

① 異教徒の罪(1:18〜32)、

② 文化的異教徒の罪(2:1〜16)、

③ ユダヤ人の罪(2:17 〜3:8)という順番で論じてきました。

 

きょうの箇所はその結論で、「すべての人は罪人」というのがその内容です。この箇所を、数回に分けて学んでみます。

全人類は有罪(9節)

「では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです」(9節)とあります。

 

(1)パウロは1〜8節で、ユダヤ人には特権が与えられていると論じたので、それを受けて、「私たちは他の者にまさっているのでしょうか」と問いかけているのです。

 

「私たち」とはユダヤ人のこと、

「他の者」とは異邦人のことです。

 

(2)「特権が与えられているユダヤ人は、異邦人よりもすぐれているのか。あるいは、ユダヤ人は異邦人よりもすぐれているから特権が与えられたのか」。これらの質問に対する答えは、「否」です。パウロは、「決してそうではありません」と断言しています。

 

(3)ユダヤ人の選びは、神の一方的な恵みによるものですユダヤ人が神に背を向けても、神のユダヤ人に対する忠実さは変わりませんですから、たたえられるべきは神の忠実さです

 

(4)さらにパウロは、「私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです」と書いています。彼の結論は、「特権はあっても、ユダヤ人もまた異邦人同様、神の裁きを受ける立場にある」というものでした。

 

この先の議論を理解するためには、パウロが用いたラビ的手法を知っておく必要があります。「大から小へ(from the greater to the lesser)の論法というのがそれです。

 

大について真実であれば、小についても真実である」。 ここでは、ユダヤ人が大で、異邦人が小です。

 

ユダヤ人は神の啓示を受け、神の御心を知るようになった民ですその彼らでさえも失敗したとするなら、異邦人については言うまでもない

 

 つまり、ユダヤ人が有罪であることを証明したなら、それは全人類が有罪であることを証明したことになるのです(マコ2:1 〜 13を参照)。

 

 

キリストの救いを受けた者は全員、神の一方的な恵みを受けた者たちです

 

その恵みのゆえに、神をたたえようではありませんか

 

神の愛は永遠に変わりません

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きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。あなたの恵みと選びに感謝しますどうかあなたの栄光を反映させるような生活をさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

伝道者の書3~4、ヘブル人への手紙7

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2022年10月28日(金)

☆彡25℃/62%

 

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10月30日(日)25℃/65%

 

どうやら台風22号はそれたらしい。

ひとまずは安堵です。

 

正しい者はいない一人もいない

悟る者もなく神を探し求める者もいない

皆迷いだれもかれも役に立たない者となった

善を行う者はいないただの一人もいない

この箇所を知ると、

「性善説」は成り立たないことがわかる。

 

だから、「日本」はどうやら

おめでたい、ということになってしまう。

 

TV報道でも、時の首相が「性善説」を持ち出す時がある。

「あぁ、やってられない」と思ってしまう。

 

日本の弱さ、が そこにある。

ある面、日本は守られてきたのかな。

「性善説」がまかり通る。

 

「日本」よ、早く目覚めよ、と思う。

 

子どもたちの意識はどうなっているのだろう?

学校教育の現場はどうなっているのだろう?

 

世界は「宗教」で動いている。

 

「国家」「民族」のよってたつべきもの

無頓着であってはいけないのでしょう。

 

されど、

キリスト者にとってみれば、

一つの国家宗教が確定することは

「迫害」の始まりでもあるのだ。

 

実に悩ましく感じます。

(雑感)

 

ハレルヤ

主イエスの御名を崇めて

感謝いたします。

おねがい