ロマ書2:1~16【神の裁きの原則(1)】<死に値する神の定め> | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

ロマ書2:1~16

<新共同訳>

神の正しい裁き

1だから、すべて人を裁く者よ弁解の余地はない

 

あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。

 

2神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。

 

3このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか

 

4あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか

 

5あなたは、かたくなで心を改めようとせず神の怒りを自分のために蓄えています。この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。

 

6神はおのおのの行いに従ってお報いになります

 

7すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、

 

8反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります。

 

9すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、

 

10すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にお、栄光と誉れと平和が与えられます。

 

11神は人を分け隔てなさいません

 

12律法を知らないで罪を犯した者は皆、この律法と関係なく滅び、また、律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれます

 

13律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです

 

14たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです

 

15こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています

 

16そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう

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文化的異教徒の罪

はじめに

 今パウロは、救いの第1 番目の要素である「義認」について論じています。義認とは、神が罪人に神の義を転嫁することです。義認の箇所は、1:18 〜5:21です。

 

 さて、義認を論じる前に、私たちは罪について理解する必要があります。それでパウロは以下のような論理展開をたどっています。

 

①異教徒の罪(1:18〜 32)、

文化的異教徒の罪(2:1〜16)

③ユダヤ人の罪(2:17〜 3:8)、

④結論:すべての人は罪人(3:9〜20)。

 

きょうの箇所は、上の②に当たります。

弁解の余地はない

1節にこうあります。

「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです」。

 

(1)「すべて他人をさばく人」とは、ギリシア人(あるいはローマ人)のことです。彼らは自分たちと異教徒とを区別し、優越感を持っていました

 

(2)彼らは、これまでにパウロが展開してきた論、つまり、1章に出てきた異教徒の罪に関しては、パウロの意見に同意しました。

 

(3)しかし、その彼らに対してパウロは、「あなたに弁解の余地はありません」と宣言しています。その理由は、以下のようなものです。

彼ら(文化的異教徒)は神に関する知識を持っている

彼らはその知識を他人(野蛮な異教徒)に適用した

③しかし、他人を断罪しながら、自分ではそれを実行していない

④1:20と同じように、彼らもまた「弁解の余地はない」のである。


文化的異教徒もまた、神に栄光を帰すということをしていませんそれゆえ、弁解の余地はないのです

 

 2節以降でパウロは、神の裁きの原則3つ上げて、彼らに「弁解の余地はない」ことを論証していきます。今後3回に分けて、神の裁きの原則について学んでみましょう。

 

 言行不一致の問題分かっていても実行していないという問題は、そのまま私たちのものでもあります

 

「私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言ってもその人に行いがないなら何の役に立ちましょうそのような信仰がその人を救うことができるでしょうか」(ヤコ2:14)。

 

「…信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです」(ヤコ2:17)。

 

生きて働く信仰を、神から求めようではありませんか

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きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。どうか私に生きて働く信仰をお与えください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

ヨブ記22〜24、詩篇105 ~ 106

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2022年10月21日(金)☀or☁?

外気温29℃ 風心地よし

 

まず、今回の箇所ロマ書2:1~16を

新共同訳で書き写しながら、

「ほぉ・・・」と改めて感心しました。

 

これって、大変なこと書いてある、

って単純に思ったわけです。

 

パウロさん。

ロマ書って、1章も大変でしたけど、

2章の出だしも凄いですね。

ロマ書って、しょっぱなから気が弛めませんネ。

 

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神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。

「このようなこと」とは、

あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲」、21の罪。

彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。

みなでやればこわくない・・

という世界かな。

ぼけー汗

 

私的に、「21の罪」のうち

意識できるものだけでも「13」かなぁ・・。

他人ごとではありませんね。

 

陰口、悪口、そしり、侮りなんて

日常茶飯事ですね。

 

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10月26日(水)☀

25℃/38%

 

室内にいても、とても快適です。

沖縄の10月らしくなってきました。

寒くもなく暑くもなく、

吹く風も優しい。

 

また、ちょっと回り道。

 

そろそろ

神さまの言葉に戻りたいと思います。

 

尊き主イエスの御名によって

アーメン

ハレルヤ

おねがい