ロマ書1:24~32「拒否の結果(1)」〈神による3つの放置〉・・抵抗せよ! | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

ロマ書1:24~32<新共同訳>

人類の罪

24そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました

 

25神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた者を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。

 

26それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、

27同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています

 

28彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました

 

29あらゆる不義むさぼり悪意に満ち、ねたみ殺意不和欺き邪念にあふれ、陰口を言い、30人をそしり神を憎み人を侮り高慢であり、大言を吐き悪事を企み親に逆らい31無知不誠実無情無慈悲です。

 

32彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら自分でそれを行うだけではなく他人の同じ行為をも是認しています

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拒否の結果(1)

神による3つの放置

すべての人には「知識の啓示」が与えられています(24〜25 節)。しかし人は、その啓示を受け入れることも、それに従うこともしませんでした

 

これが「知識の拒否」です(21 〜 23節)。

 

 そして、きょうの箇所は拒否の結果」、人類がどのような状態になったかを記しています。

 

 神は不信仰と罪への罰として人類を3つの「放置」の状態に置かれました。今回は、「放置その一」を学んでみます。

放置その一(24〜25節)

それゆえ神は彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡されそのために彼らは互いにそのからだをはずかしめるようになりました」とあります(24節)。

 

(1)冒頭に「それゆえ」という強い意味の接続詞が置かれています。「ディオ」というギリシア語です。この接続詞は、神に関する知識の啓示がありその拒否があり拒否の結果があることを示しています。

 

(2)裁きの内容は、「神による放置」です

 

「神は、彼らを○○に引き渡され」という表現が出ています。別の訳では、「神は、○○に任せられ」(口語訳)、「神は、○○にまかせられ」(新共同訳)となっています。これは、単なる許可や恵みの撤去ではなく、法的意味での裁きです

 

(3)パウロの頭には、イザヤ64:6〜7があったと思われます。

 

私たちはみな、汚れた者のようになり、私たちの義はみな、不潔な着物のようです。…あなたは私たちから御顔を隠し、私たちの咎のゆえに、私たちを弱められました」。

 

神は、罪人から御顔を隠されましたそれゆえ、罪人は弱められ、さらに深い罪に陥って行くのです

 

(4)神の知識を拒否した結果、人は自分の罪の性質に仕え、心の欲望のままに汚れたことをするようになりました。互いにその体をはずかしめるようになったとは、性的乱れが起こったということです。
 

それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン」(25節)。

 

(1)性的乱れの原因神の真理を偽りと取り代えたからです

 

創造主ではなく、偶像を拝むことは、偽りの行為です

 

この偶像礼拝が、人類の性的堕落の原因なのです

 

(2)ここでパウロは、創造主をたたえずにはおれなくなったようです。「造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン」。

 

真の神をたたえ続ける人は、偶像礼拝からも、汚れた行為からも守られます

 

 

 

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きょうの祈り

天の父よ。あなただけをあがめ、礼拝します私を偽りの宗教や礼拝から守ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

ヨブ記13〜15、テトスへの手紙3

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2022年10月19日(水)☁

外気温24℃ 風強し

 

ロマ書1:24~32。

とても悩ましい箇所に思えます。

 

この箇所に書かれてあること、

その渦中にある者の苦しみ。

ましてや、

キリストの門を叩き、

洗礼を受け、礼拝に通う者の間にも

その「病」は潜んでいる。

 

今ではちゃんとした「病名?」もつき、

この頃では「社会的権利」を手にし始めた。

 

わたしが学生だった数十年も前。

わたしは「知らなかった」。

だけど、突然、

我が身のこととして振りかかってしまった。

「悩み」を打ち明けられてしまった。

その「報告」を受け取るたび、

「知識」のない私はただ想像めぐらし、

わからない世界へただひたすらに悶々とした。

 

しまいには、気の毒に思えてきた。

「どうしようもない」ものなのかな?

「どうしようもない」?

 

人は愛する対象を求める。

人は自然も物も生き物も愛することができる。

親も兄弟も友も男女を問わず愛することができる。

 

たしかに「性愛」は特別なもので、

それもまた「神」が与えたもうものなのでしょう。

 

その男子学生は憎めないキャラクター。

私も次第に好感を持ち始め、

なんのきっかけかはわからないが、

「キリスト」との関わりの中で

次第に 親しくなっていった。

 

ドライブしたり、

ショッピング街を歩いたり、

時には、海辺で

夜風にあたりながらお喋りをして

穏やかで優しい時間に思えた。

 

告白されたときは、

頭が混乱した。

 

まったく「知らない」世界。

想像のしようもない世界。

 

正直、

「ひぇ~~~っ💦」と思った。

 

されど、目の前のその人は

ひどく 苦しんでいる。

 

その彼はよい状態のときもあれば、

ひどく落ち込んでくる時もあった。

日々の戦いと誘惑に

憔悴しているようにも見えた。

 

わたしは

なんの力にもなれなかったと思う。

 

また、もとの「道」に

戻ってしまったのだろうか。

心配しても 

戦っている彼の代わりにはなれない。

彼自身が勝利するしかない道。

 

もう記憶が薄れてしまっている。

卒業後は一切の連絡はない。

 

才能豊かな人でもあった。

正直な人でもあった。

 

きっと、

イエスさまに繋がっているなら

克服して力を与えられ

乗り越えていると信じたい。

そんな姿を描いて、

思い出としたい。

 

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生涯独身でもいいではないか、と

私は思う。

 

生涯独身を恐れるな!

 

(そんな問題ではないと非難されそうだが、私にはそんな問題に思える)

(結婚願望は強かったかもしれないかくいう私も結局生涯独りだ!でも一匹が与えられた・・。感謝。(-.-)・・。されど、弱き者の戦いは続くのだ。現状を受け入れるという闘い。試練を希望に変える闘い。)

 

神が「罪」だというものに

命の時間を取られてはいけないのではないか。

 

悩みはつきぬ。

苦しみはつきぬ。

 

されど、

「重荷」のない人生なんてないのだ。

 

だからこそ、

「重荷」を置く場所を求めて

人はさ迷い、旅をする。

 

「重荷」を背負って山を登る。

そのうち、不要なもの、捨ててよいものが分かってくるにちがいないから、そのときは、思い切って「捨てる」のだ。

山頂に近づけば近づくほど、身軽になっていく山登り。

山の天気は変わりやすいというけれど、わたし(たち)が上る山は、山頂に近づけば近づくほど、最高のお天気なのだ。それは約束されているんだ。山頂から見る景色だって最高の最高に違いないんだ。

 

ふと、ヘブル書の御言葉が頭をよぎりました。

(ヘブル書12章<抜粋>)

1bすべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか

 

2信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら

 

4あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません

 

11およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです

 

12だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい

 

13また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でますうぐな道を歩きなさい

 

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「罪」と「戦って」「血」を流す。

これが、クリスチャンの生きざま、なのだ。

 

その「実」は、

「義という平和に満ちた」もの。

 

神の約束。

 

わたし(たち)はそれを信じており、

また 信じるように造り変えられた。

もう「完成」している。

もう「完成」されている、のだ。

 

だから、戦うし、闘う。

闘うことを恐れるな。

 

この道を歩む者は愚かなりとも迷うことなし。

 

ハレルヤ

尊き主

その限りなき憐れみによって

我等は滅びの穴より救われたり。

感謝です。

なおなお憐れみくださって

滅びの道から引き上げてくださいますように。

主イエス・キリストの御名によって感謝いたします。

我等はすでに「勝利」していますからありがとうございます。

アーメン

おねがい