「災害は終わるが、紛争は終わらない」<災害死史観と紛争死史観>絶望的な悲しさを受け入れる日本人 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

貼付させて頂きました。

日本で国民に多くの犠牲者が出るのは、自然災害が発生したときである大地震や台風、水害、土砂災害、津波、高潮などの自然災害により、我々は同胞を失うそれに対しユーラシア諸国では、自然災害よりもはるかに多くの人々が紛争で亡くなっている自然ではなく「人間」に殺される

『紛争死史観と災害死史観』(大石久一氏)

<約35分>

2022/04/16配信

「災害は終わるが、紛争は終わらない」

 

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「三橋TV」面白いです。

わかりやすいです。

妙に的を得ている気がしています。

(-.-)・・・。

 

過去動画もこれから

すこしずつでも

拝見させて頂くつもりです。

(*^-^*)

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<約15分>

前編「災害死史観の日本は生き残れるか」

 

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(めも)

欧州や中国(ユーラシア人)はどいういう国土を預かり、どういう国土への働きかけをやってきたのかを考えるとき、朝鮮半島からイギリスに至るまでの民族の中で、日本人だけが唯一行っていない国土への働きかけがある。土地城壁の建設。

 

(他の土地の民族は)土地城壁がなければ、その中に住んでいる仲間たちが全員殺されるとか、愛する者たちが殺されるという経験を繰り返してきた、ということに気づいた。日本人の死に方は、どう考えても「紛争」で死んでいったのではなくて、自然災害で多くの命が失われていった。

 

自然災害で死ななければならなかった我々(日本人)と、紛争つまり人に殺されることによって死を受けとめなければならなかった彼らとの間に、考え方の違いだとか感覚の違いというものが大きな差となって現れた、ということを考えたんですね。

 

彼らは、「紛争死」というものを通じて世の中全体を見る。

我々日本人だけが、「紛争死」を通じてではなくて「自然災害死」を通じて社会全体を見ている、歴史全体を見ている、人間全体を見ている、そういう民族に育ったんだ、こういうことではないかといいう「仮説」に辿り着いた。

 

「紛争死」からよめるもの、「災害死」からよめるものを考えていくと随分いろいろなことがよめてくる。

 

今回のウクライナ侵攻をよく理解できていないのは我々(日本人)くらいなものではないか。

三橋:ウクライナ紛争への募金活動が始まったとき、(日本人が)なんのために募金しているのかと考えたとき、「復興」のためだと思った。「災害死史観」の観点から日本人の特徴を考えてみた。

 

1)リスク評価ができないのではにか

(三橋:すべてをオールorナッシングで考えてしまうため)

(大石:原発に対しても「安全か否か」。リスク管理とは%テージの問題。これがなかなか我々(日本人)には理解できない。)

大石:横浜国立大学環境学のナカニシジュンコ先生が「我々はリスクを確立で理解できない民である」ということを言われた。原発を造るときも、地域の人々が「安全か否か、全体安全だと言わなければ造らせない」というのに対し、造りたい側は「全体安全です」といっちゃうわけです。結局何かあれば不毛な対立を生むことになる。これはリスクがわからないから。

 

三橋:「自然災害」はいつくるかわからない。昔は台風も予測できなかっただろう。「最悪」に対してどのくらいの確立なんだというのを評価してどのくらいの対処をしようということを「やっても無駄」ってのが「自然災害」ですよね。

 

大石:少なくとも「人の命を救う」レベルでの確立計算ができたり予測ができたりはなかった。今もありません。

 

三橋:「防災」という発想は重要でやらなくちゃいけないが、究極的には「わからない」というのが「災害」。それに対して「侵略」というのは、事前に人を派遣して見ていればある程度わかる。その時点から日本人とユーラシアの方々は違うことを痛感した。

 

大石:「兆候は体でつかめる」。急に訓練始めたとか、新しい武器をどんどん作り始めたとか。

 

大石:「阪神淡路」「東日本」でも「人の命を救うレベル」で予測できたものはいなかった。人の命が救われなかったら意味がない。(略)柏崎原発を動かさないのも「リスク」というものが理解できないないからだと思います。

 

2)日本人は、

戦争を災害として認識してしまうのではないか?

三橋:200万人が亡くなったとされる「大東亜戦争」を経てもなお、日本人は「災害」と混同しているのではないか?

敗戦後の米軍占領に対し、米軍に対する「テロ」がおこっていない。つまり、あの時の日本国民って、「あ~、災害おわったぁ」「じゃぁ!復興!」っていう感覚になっちゃったんじゃないのか? 他の国であれば絶対「テロ」頻発しますよね?

(何百万人も殺されて、落とさなくてもいい原発まで落とされたんですからね。)

 

大石:アメリカに対する「恨み」があってもいいはずなのに、ぜんぜん話しは逆で・・・、日本の女性の何百人もがマッカーサーに対して「あなたの子どもを産みたい」と言った。「占領軍=日本人を生かそうが殺そうが自由」と言った連中が来ているんだという認識がない。

 

三橋:多分そんな感覚になれるのは「日本人」だけだということですよね。他の国はいっさい違いますよ、と。

今まではある程度「海」が守ってくれていた。「海」がもう防壁になっていない状態だと食い荒らされちゃうんじゃないかなと。

今に日本って、狼の中に羊が一匹いるようなもんじゃないですか。

 

大石:戦後、我が国の高度経済成長後におこった日米の経済摩擦なんか見ていても、もう「蹂躙」されているだけだといってもいいと思いますね。

 

三橋:ニシベススム先生がご存命だったときに、「韓国人は立派な奴らだ」「日本人をずっと恨み続けることができるじゃないか」と言ったんですけど、あのとき何を言っているのか全然わからなかったんですけど、今、わかります。あっちの方が立派ですよね、ハイ。要に、ずっとそのことを意識して、自分たちを守ろうという意識が働いている。(それに対し)我々は「天災」(の意識)なんで、備えないんですよね。で、戦争が始まったら始まったで「また災害か」で耐え忍んで終わったら「ああ災害おわった、ハイ復興!」みたいな?そういうノリなんじゃないですかね。

 

大石:朝鮮民族の歴史を見てみると、悲惨な歴史(蹂躙されまくり)ですからね。

 

三橋:大唐帝国に支配されたりとか、モンゴルに支配されたりとか、最後は日本に併合されましたけど。それを覚えていて「いつか復讐してやるぞ」というような形で、ユーラシアの方々全員生きてる?ってことなんですかね?コレ、日本には想像つかないですよね。

 

大石:それがなくては生きていけないということなんだと思いますよ。つまり「紛争死」は「殺された死」ですから、その「死」を受けとめるために、<わたしの目の前でわたしの妻が殺された>これを受け入れるということはまず出来ませんよね。受け入れようと思ったら、必ず敵をとる、殺した奴を俺がやっつけてやる、だから(日本的に言うと)成仏してくれよ、とならざるを得ない。そして、<お前を殺した奴>を恨んで恨んで恨み抜くってことを<お前>に誓う、って言わないとこの<お前>の死<わたしの愛する妻>の死を受け入れることはできないワケですよね

 

我々(日本人)には、ソレがないだって、恨みようがないんですから東日本大震災で、あの三陸の海が盛り上がって<わたしの妻>をひっぱっていっちゃった、あぁこのやろう!と思っても、また 明日からは、この三陸の海の恵みに頼って生きていくしかないわけですコレ、恨みようがない恨み抜きようがないわけですねこんな悲しい「死」はないですよ。こんな悲しい死は。

だから、災害が起こった後で、日本人が、何か配給とかあったりするんだけれども、粛々と並んでいる。これはどういうことだ、と。朝鮮の新聞まで「日本人とは一体どういう民族なんだ」と書いたぐらいに不思議な行動ですね。よその国だったら略奪のし合いですよね(それが)起こっていないということは、この「死」を受け入れるしかないんだ、恨みようがないんだ、復讐のしようがないんだ、という我々(日本人)のコノ絶望的な悲しさが、アノ粛々と並にんでいる日本人のみんなにあるということなんですよね

 

これは、いいことだとか、悪いことだとか、正しいことだとか、正しくないことだとかいうような話では全然ありませんそういう行動にならざるを得ない、そういう「死」を受容せざるを得ない

 

だけど、彼ら(大陸人)はそういう「死」の受容ができない必ず復讐するというのが付いていないと受容できないんですね

 

四川大地震があったときに、中国の人で、朝から晩まで自分の愛する人の死に見もだえて泣きまくっている姿が映像で出たことがありました。我々の感覚だと「地震」で亡くなったのに何やってんのこの人?いつまでこんなことやってんの?という感覚ですけど、この人は、自分の愛する夫が亡くなったのか子供がなくなったのか、<わたしはあなたの死を受け入れていない>という態度をず~っと示し続けている。示しつづけないと亡くなった<夫?子供?>に対して申し訳がたたない、そういう態度なんですね。

 

我々の感覚からみると、もう亡くなっちゃって、あとは復興に走るしかないのに何やってんの?という感じなんだけど、それは違うんですよ。

 

だから、この違いなんてのは、<泣き叫ぶ、わめいている>中国のあの女性を見たときに、我々はそう感じないといかんのですよね。

 

三橋:日本人には「諦観」ってのがあるじゃないですか。諦めるしかない、仕方ない、と。むこう(大陸)は違うんですよ、という話ですね。

 

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(雑感)

大石氏の丁寧なお話を聞きながら

「絶望的な悲しさ」という表現に

つい涙が出て来てしまいました。

とても胸が痛みました。

あの日の映像が脳裏によみがえります。

 

わたしはといえば、

身近な人のそんな「死」を経験していません。

 

だけど、現状の「沖縄」。

77年前の戦争の記憶、記録は

今日もまた晩のニュースで流されるのです。

毎日毎日流され続けています。

 

沖縄の人々のソレは

「日本人」の感覚とは違うのでしょうか?

わたし的には、

かの半島の方々の傾向にも

似たものを感じてしまっています。

 

「リスクの評価」

「戦争を災害と捉えてしまう」

今日のお話をお聞きして

大陸の人々との民族性の違いを

あらたな視点から

あらためて教えられたように思います。

 

ありがとうございました。

m(_ _)m

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おねがい