出エジプト記26:31~37「至聖所の垂れ幕/天幕の入り口の幕」・・隔ての幕 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

<新共同訳>

至聖所の垂れ幕

31次に、青、紫、緋色の毛糸、および亜麻のより糸を使って、意匠家の描いたケルビムの模様の垂れ幕を作り、32金箔で覆ったアカシヤ材の4本の柱に掛けなさい。鉤は金4本の柱の台座は銀で作る。

 

33その垂れ幕は留め金の下に掛け、その垂れ幕の奥に掟の箱を置くこの垂れ幕はあなたたちに対して聖所と至聖所とを分けるものとなる

 

34至聖所の掟の箱の上に贖いの座を置く35垂れ幕の手前には机を置き、向かい合わせに燭台を置く。燭台は幕屋の南側に、机は北側に置く。

天幕の入り口の幕

36次に、天幕の入り口に掛ける幕を作る。青、紫、緋色の毛糸、および亜麻のより糸を使って つづれ織を作りなさい。

 

37また、この幕を掛けるためにアカシヤ材で5本の柱を作り、それを金箔で覆い、鉤は金で作る。また柱のためには5個の青銅の台座を鋳造する。

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(参照:新聖書辞典)

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引用します。

 

※新実用聖書注解220p※

e.幕屋に関する指示(26:1-37)

<抜粋>

31-35節は、聖所と至聖所を分つ垂れ幕についてである。これにもケルビムが刺繍された(31)。この幕で隔てられる内側に、箱と贖いのふたが置かれる(33-34)。机と燭台はこの垂れ幕の外に、互いに向かい合うように置かれる(35)

 

36-37節は、幕屋の入り口の幕についてである。

幕屋の全体の大きさは、13.3m✕4.4m✕4.4mである至聖所は1辺4.4mの立方体である

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※BIBLEnavi91-92p※

--26:31-33--

この幕は、天幕の中の聖所と至聖所という2つの聖なる部分を分けていた。祭司は聖所に毎日入り、神と交わりの時を持っていたそして香のたかれる祭壇、燭台、供えのパンを置く机を整えた

 

至聖所は、神ご自身がお住まいの場所であり、神の臨在は、あかしの箱の贖いのふたの上にとどまった至聖所には大祭司のみが入ることができたしかも大祭司でさえ、年に一度(贖いの日)、国全体の罪を覆うために入ることができただけだった

 

イエス・キリストが十字架上で死んだとき、神殿(天幕の代わりに)の幕が上から下まで、真っ二つに裂けた(マルコ15:38)

 

これは、イエスの死のおかげで、私たちが自由い神に近づくことができるようになったことを象徴している

 

祭司たちやいけにえを介して神に近づく必要がなくなったのだ

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<clay>解説

2種類の幕

垂れ幕(31~35節)

幕屋は、神の計画が成就する前の一時的な仕組みである。幕屋は型であり、キリストが本体(対型)である

 

幕屋に関する神からの指示は、重要な部分から始まり、外側に広がって行く。これまでに、

契約の箱

贖いのふた

供えのパンの机

燭台

幕屋のための幕

幕屋を覆う幕

板と横木、などを取り上げた。


ここで、幕屋の全体のサイズを確認しておこう。

幕屋の面積は、約13.3m ×4.4m × 4.4m(約59㎡、17.5 坪、35 畳)で、奥の半分が至聖所であった。

 

至聖所のサイズは、1 辺が約4.4m の立方体である(面積は約19 ㎡、5.8 坪、12 畳)

 

垂れ幕というのは、聖所と至聖所を仕切るための幕である。

(1)この幕は、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布でできていた。

(2)その幕には、ケルビムを織り出した(ケルビム模様)。この模様は、織りによってできているので、両面から見えた。

(3)この垂れ幕を、金を被せたアカシヤ材4 本の柱に付けた。柱は四つの銀の台座の上に据えられた。

(4)この垂れ幕は、一般の祭司と大祭司を区別する仕切りとなった至聖所には大祭司が年に一度だけ入れた

聖所の入り口の幕(36~37節)

次に取り上げる幕は、聖所(幕屋)の入口にかける幕である。

(1)この幕は、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布でできていた。

(2)この幕には、刺繍によって模様が施された。つまり、この模様は、幕の片面からしか見えなかった

(3)この幕を、金を被せたアカシヤ材5 本の柱に付けた。柱の下には、青銅の台座が置かれた。(4)この幕は、一般のイスラエル人と祭司を区別する仕切りとなった
 

幕屋の構造は、神に近づく人を徐々に限定する仕掛けとなっている

 

異邦人は、幕屋の内庭に入ることさえできなかった

 

イスラエル人は内庭に入ることができても、幕屋(聖所)そのものには入ることができなかった

 

幕屋に入れるのは、祭司だけである

 

さらにその奥の至聖所には、大祭司しか入れなかった

 

神は大祭司という接点を通して、イスラエルの民と、また全人類と関わろうとされた

 

 

新約時代に生きる私たちは、大祭司であるイエスを通して、神の御座に近づくことができるようになった何という幸い、祝福であろうか

 

きょうも、栄光の御座に近づき、父なる神に感謝を捧げようではないか

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<clay>きょうの祈り

天の父なる神さま。今私は、主イエスを通して栄光の御座に近づき、あなたに礼拝をささげます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

イザヤ書42~43、ローマ人への手紙16

 

本日も配信ありがとうございました。

m(_ _)m

 

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7月6日(水)☀

27℃/36%(エアコン稼働中)

 

今日も快晴。感謝です。

 

学ぶたびに感じること。

「イエス」さまの顕れへの

畏敬?畏怖?なんだろう、

ことばでうまく表現できないこの感じ。

 

神の時間と人の時間は

比べようもなく

ゆえに

神さまのことを

「わかった」風にもの言うことの

恥ずかしさ。

 

「おそれおおい」

そんな表現がふと出てきます。

 

けれど「人間」は

どんな小さきものであっても

「わたしを見て」と叫んでる。

 

若い日には 日夜問いつづける。

「わたし」とは一体なにもの?

 

汝の若きときに汝の造り主を覚えよ。

(コヘレト12:1)

 

ほんとに然り。

 

若き人が

一人でも多く

創造主に出会えますように。

 

されど老いてなおも

その道の開かれてあることの幸い。

 

ハレルヤ 感謝。

尊き主イエスの御名に。

おねがい