出エジプト記12:6~11「主の過越し②」・・立つ鳥跡を濁さず? | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

<新共同訳>

主の過越】(2)

6それは、この月の十四日まで取り分けておきイスラエルの共同体の会衆が皆夕暮れにそれを屠り7その血をとって小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る

8そしてその夜肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパン苦菜を添えて食べる

9肉は生で食べたり、煮て食べてはならない必ず、頭も四肢も内蔵も切り離さずに火で焼かねばならない。 

10それを翌朝まで残しておいてはならない翌朝まで残った場合には、焼却する

11それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べるこれが主の過越である

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常々思うのは、

日本の神社などでみる、鳥居。

みな赤い。そして、入口にある。

なんだか、

その昔イスラエル民族に起こった

「主の過越」を彷彿とさせます。

 

夕方に屠り、晩に食すその肉は、

「丸焼き」。種無しパンと苦菜。

残してはならない。

残ってしまったら焼却する。

 

「立つ鳥跡を濁さず」みたいな?

 

それを食べるときは、

腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、

急いで食べるこれが主の過越である。」

 

すぐに旅立てる状態での食事。

 

屠るときは共同体皆で屠る。

屠られる羊や山羊たちの鳴き声が聞こえてきそうだ。

(雑感)

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<clay>

・(1)ニサンの月の10 日から14 日まで、子羊をよく見守る

見守るとは、ガードする(守る)ことであり、傷やしみがないかどうか、吟味することでもある

 

(2)それを14 日の夕暮れにほふる

「夕暮れ」を直訳すると、「2 つの夕暮れの間」となる。

この言葉は2 つの解釈が可能である。① 14 日の午後3 時から日没までの間。②日没から暗くなるまでの間。後者の場合は、ユダヤ歴では15日に入っている。

 

(3)ほふった子羊の血を取り、それを2 本の門柱と、かもいに、つけるこのとおりに血を塗ると、十字架が2 本連なったような形になる。

 

(4)血を塗る行為は、最初の過越の祭りだけに適用されるものである。

 

その夜(15 日に入っている)、ほふられた子羊の肉を食べる。(1)調理法は、ローストである。生肉や水煮の肉は許されない

(2)頭も足も内臓も全部いっしょに火で焼かなければならないこれは、全的献身を象徴している

(3)残ったものがあれば、それを火で焼く。決して、朝まで残しておいてはならない(過越の祭りは、特別な祭りである)。

(4)食べる時の姿勢は、すぐに旅立つことができるようなものである。①腰の帯を引き締め(旅立ちの格好)、②足に靴を履き、③手に杖を持ち、④急いで食べる(これもまた、最初の過越の祭りだけに適用される)。

・ちなみに、約束の地に入ったユダヤ人たちは、横になって過越の食事をするようになる。その姿勢は、自由の民になったことの象徴である

 

血の象徴的意味について考えてみよう。

(1)罪のゆえに死が人類を支配するようになった(1 コリ15:56 参照)。

(2)神の視点からは、罪は裁かれなければならないその結果が死である

(3)罪が赦されるためには、血を流す必要がある

なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである・・・いのちとして贖いをするのは血である」(レビ17:11)(ヘブ9:22 参照)。

(4)子羊の血は、御子イエスの血を予表している

 

「・・・御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」(1 ヨハ1:7)。

 

御子イエスの血によって私たちの罪は赦された。このことのゆえに、主に感謝しようではないか

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天の父よ。御子イエスの血潮のゆえに感謝し御名をたたえます罪赦され、神の子とされていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

申命記9~10、マタイの福音書19

 

本日も配信ありがとうございました。

m(_ _)m

 

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3月28日(月)☁(-.-)

 

今週の半ばまでは

全国的に気温は上向きだと予報。

こちらの地域は1週間、ず~っと

☁と☔マークでした。

ジメジメ感だけは嫌ですけどネ。

 

新しい週が始まりました。

「時間」が与えられていることを

真剣に受け止める1週間となりますように。

 

ハレルヤおねがい