貼付させて頂きました。
<約37分>10/10配信
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立体的なイスラエルの地図を用いて
説明してくださったのは分かり易かったです。
感謝でした。
三つのお勧めと説明がありました。
1)神さまの沈黙は何のため
2)悪魔は天使に変装する
3)私たちの最後の晩餐
感謝でした。
15分経過頃からのお勧めを
書き留めてみました。
第一サムエル記8章
わたしたちはここから何を学ぶか。
いっぱいあると思うんですけど、
まず1番目はね、
「神さまが『沈黙』される時」ってことですね。
神さまに祈っても、神さま 答えてくださらない。
神さまが沈黙されてても、人生が順風満帆にいっている時って、けっこう、神さまが語られようが、沈黙されようが、けっこうどうでもいいんですよ。だって、上手くいっているんですから。
でも、問題は、私たちが苦しみに遭っている時、つらい時に、神さまに祈り求めても『御言葉』がない、『御声』がない、『導き』がない、という場合に、神を信じる者にとっては戸惑いを覚えて力が無くなることなわけです。
「聖書」の神さまは、「光あれ!」とおっしゃって「光」を造られる『言葉』の神さまです。ですから、神の『言葉』が無いということほどですね、神さまを信頼する人にとって、勇気を失わせることはないんですね。
ところが、神さまは時として、わたしたちが祈っても求めてもお応えにならない、状況が全く良くならないということが、人生にはしばしばあるわけです。
なぜ?なのか。
その答えは、『主権者が誰であるか』わたしたちに教えるためです。
「神さま」というお方は、わたしたちの奴隷じゃないんです。
<「あ~、困ったことがおこった!」
今までは困ったことがなかったから神さまなんかどうでもよかったけど、今 困ったことがおこった!・・・神さま、ちょっと来てください!今困っているんです。助けてください。神さまでしょ。助けるのは当たりまえじゃないですか。この問題片づけてください。・・あー、片付いた。解決した。もー神さまいいです。!>
これが、ある一部の(もしかしたら私たちもですけど)わたしたちの姿じゃないですか。
生かすも殺すも 神さま次第なんです。
主権は わたしたちに無い、んです。
主権は神さまにあるんです。
祈りを聞かれるのか、祈りを聞かれないのか。
決めるのは 神さま なんです。
イエスさまでさえ、ゲツセマネの園で
「どうか父よ、この杯をわたしから取り除いてください。
「人々の罪を背負ってあなたの御前に呪われた者となって十字架にかかる、あなたの愛がまったく遮断された世界に行く、そんなことは耐えられません、どうかその杯をわたしに飲ませないでください。」
イエスさまは 血の汗を滴らせて祈るわけです。
しかしですね、祈っているうちにだんだん平安がやってきてイエスさまの祈りは・・、神さま沈黙されていますが、イエスさまの祈りは昇華されていくわけですね。華になってのぼっていくわけです。
イエスさま こう告白されていらっしゃいます、最後には。
「父よ、どうかわたしの思いではなく、あなたの御心のとおりになりますように。」
これこそ、主権者が誰であるのかを聖書が教えてくれています。
私達が持っている問題を解決することは 神さまにとっては ホコリをふーっと片づけるくらい簡単なことです。
あなたが今抱えている山のような苦しい問題は、神さまの前には、ふーっつと これぐらい、超簡単なことです。
でも、それを叶えてくださらないのは、主権者が誰であるかを 私たちに教えるためでしょう。主権者はだれですか?私たちですか?違いますよ。誰かこの地上の権威ある何者かですか?全く違いますよ。
主権者はだれにありますか?
神さまにあるんです。
生かすも殺すも神さましだいなんです。
主権は 神さまにあることを 私達に知らせるために、神さまはしばしば 私たちの祈りに対して「沈黙」をされるわけです。
マタイ8章2節で、男がこう言うんですね。
「主よ、あなたのお心一つで 聖くしていただけいます」
「あなたが そう思うなら、わたしは聖めていただけます」
「わたしのこの生まれつきの病気、不治の病。しかし、あなたが そう思うだけで、わたしは聖くなることができます。」
するとイエスさまは立ち止まって、この男にこう宣言するんです。
『わたしの心だ。聖くなれ。』(マタイ8:2,3)
するとこの男の病はさーっと消えて、健やかになって、「わぁー治った、主よ、ハレルヤ!感謝します」となるんですね。
神さまが そう思えば、今あなたが抱えている問題は一瞬でなおります。神さまが そう願わなければ、その問題はそのままです。
主権者は、神さま です。
ですからですね、そのことを教えるために、神さまは サウロに沈黙されたわけですね。
3)の聖餐式のお勧め。
「聖餐式」がとても身近に迫ってきました。
パンはイエスさまの不思議なお体、
血は赦されていることを証しするイエスさまの御血。
それらがとても自然にからだのなかに入っていくような気がしました。
こころなしか胸が あったかくなりました。
目頭もあつくなりそうでした。
ありがとうございました。
普段、まったく 体温の感じられない「ネット」のむこうがわ。
時として、肌感が「伝わる」こともあるんですね。
すべての「手段」は
「イエス」さまにかかれば
良き物となるんですね。
ハレルヤ
ハーフ牧師の働きの祝福の実に
与れますように。
ちょっとくだけつつも 真実なお勧めに、
いつも励ましと慰めと希望を頂いています。