創世記43:26~34「嫉妬心」 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

29 ヨセフは目を上げ、同じ母の子である弟のベニヤミンを見て言った。「これがあなたがたが私に話した末の弟か。」そして言った。「わが子よ。神があなたを恵まれるように。」

30 ヨセフは弟なつかしさに胸が熱くなり泣きたくなって急いで奥の部屋に入って行ってそこで泣いた。31 やがて、彼は顔を洗って出て来たそして自分を制して、「食事を出せ」と言いつけた

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このシーンはいつ読んでも胸に迫ります。

生々しさを感じてしまいます。

ヨセフは合計5 回泣くが、ここはその2 回目である(創42:24、43:30、45:1 ~2、14 ~15、50:17)。

親兄弟たちとの再会に、5回も泣くんですネ。ヨセフさん。

 

今はまだ身分を明かせないヨセフさんです。

兄弟たちに対する「疑い」の方がまだまだ強いんですネ。

もっともなことですネ。

 

末の弟ベニヤミンを特別扱いするヨセフさんです。22年ぶりの実の弟との対面。感動の余り?としても、それは兄弟たちへの当てつけのようにも感じられ、私もちょっとハラハラ感あり、でしたが、本日の解説で理解できました。

ベニヤミンの分け前は、ほかのだれよりも5 倍も多くあった(エジプトの習慣では、王がある人物に好意を示すために2 倍の食物を与えるということがよくあった)。

ベニヤミンを特別扱いすることによって、ヨセフは兄たちが嫉妬するかどうかを試したのであるかつて兄たちはヨセフに嫉妬し、それが罪の行為を生み出したもし彼らがベニヤミンに対して嫉妬するなら、彼らの悔い改めは不十分だということになる

 

「嫉妬」や「妬み」

聖書の随所に見られるテーマ。

 

「人」は どうして「嫉妬」し「妬む」?

聖書は教える。

己よりも相手を優れたものとせよ、と。

「人」の心には何が潜んでいるのだろう。

 

他者という存在がなければ

支配欲も優越感も存在しないのだろう。

「人」は「獣」に対しては、「嫉妬」を覚えない。

 

他者より自分が優れたい、という思い。

健全な競争心は悪いとは思えないが、

ややもすると そんなところから

「嫉妬」や「妬み」が生まれてくるのだろう。

 

その昔

「神」のようになりたい、と

「人」は思った。

「自分」が「神」になる。

 

「被造物」であるということを見失う。

どんな人間にも「親」がいるように、

「人」は一人では誕生しない。

最初の人アダムには肉なる親はいない。

神自らが造られた最初の「人」。

「人」はどこまでも 造られたもの、

でしかありません。

 

「造られた」からには、

「つくられた」理由があり、

用途があり、

そもそもの性質があるはずです。

 

なんのために造られたのか。

 

「人」の視点に立つと、

 

何のために生れ、

何のために生きているのか。

 

・・・・。

 

話しがだいぶそれてきていしまいました。

・・・時をもどそう?(-.-)

 

それにしても・・・。

 

 

神さまのご計画の実現のために、

なぜ、ヨセフは

苦しまなければならなかったのだろう?

 

このような方法しかなかったのだろうか?

 

神は、人の「嫉妬」の結果、

「罪」が招くものを

見せてくださったのだろうか?

主はアブラムに言われた。

「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。~」(創15:13-14)

とにかく、

事の次第は、預言の成就へと向かいます。

 

ヤコブさんたちは ヨセフさんによってエジプト移住を果たします。

「飢饉」から救われた、と思うや、それはまた困難の始まりとなりました。それはまた気の遠くなるような神のご計画のはじまりでもあります。

 

神の計画を知らない者は ただ「時」の狭間に弄されて、本来?の「自分」を見失ったままでしか生きられないような気がします。 その計画を幾分か知る者でさえ 迷うのですから。 「知る」ということと「信ずる」ということの違いを見せつけられる思いです。

 

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この箇所を通して、自らをみてみよう。

 

私たちには、他の人々が祝されている姿を見て嫉妬を覚えたことはないだろうか嫉妬心が、いかに神の祝福から私たちを遠ざけているか考えてみよう

 

喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」(ロマ12:15)

天の父なる神さま。資格のない私が、主イエスの用意してくださった義の衣のゆえに、小羊の宴会に招かれていますそれだけでも奇蹟的なことです。どうか私を嫉妬から解放してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

列王記第二9~10、使徒の働き23

 

本日も配信ありがとうございました。

m(_ _)m

 

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今日も一日始まりました。

そして また

今週1週間が始まりました。

 

よき計画を立てられますように。

それを行えますように。

 

為すべき事を為さしめ給え。

 

今週もまた

主の御名を崇めて過ごせますように。

 

常に喜び絶えず祈り

すべてのこと感謝できますように。

 

主イエス・キリストの御名によって。

 

ハレルヤおねがい