サラの信仰から、励ましを受け取ろう。彼女は、不信仰のゆえに笑ったこともあったが、最後は神の約束を信じた。つまり、約束された神を真実な方と考えたのである。私たちは、信仰によって「アブラハムの子」であり「サラの子」である。私たちが信じている方は、約束されたことを必ず成就される。
(アーメン)
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信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。(ヘブル11:6)
また、
信じない者ではなく、信じる者になりなさい。
(ヨハネ20:22)
とあります。
サラさんも、神さまのお約束の言葉を「まさかそんなことありえない」という思いもあったのでしょう、鼻から相手にしないような、そんな「笑い」をもって聞いてしまいました。
12弟子のトマスも、「復活」のイエスさまのことを信じられず、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘穴に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」と言ってしまいました。
どちらの場合も理解できる心境です。
お二人は 「失敗」してしまいました。
「不信仰」を諫められました。
されど、感謝かな。
「不信仰」から始まった「信仰」。
されども、のちには、
「信仰の人」として聖書に名を残します。
「不信仰」であったことを素直に認め、
心改めるなら、いくらでも
やり直せるチャンスはあるのだな、と
心強く思わされました。
「心あらためる」のは
早ければ早いほど よいみたいですネ。
誤りに気がついたら
即改める素直さと謙虚さを
身に着けられますようにと思わされました。
感謝でした。
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本日の通読箇所
・レビ記20~21章
・マタイ福音書2章
ただでさえ日数の少ない2月です。
週末がちょうど月末にあたるなんてちょっと厳しい
慌ただしくなりそうです。
心落ち着けますようにと願います。
ハレルヤ