創世記23:1~2「サラ」 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

 

サラの信仰から、励ましを受け取ろう。彼女は、不信仰のゆえに笑ったこともあったが、最後は神の約束を信じた。つまり、約束された神を真実な方と考えたのである。私たちは、信仰によって「アブラハムの子」であり「サラの子」である。私たちが信じている方は、約束されたことを必ず成就される。

(アーメン)

 

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信仰がなければ、神に喜ばれることはできません

神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。(ヘブル11:6)

 

また、

 

信じない者ではなく、信じる者になりなさい

(ヨハネ20:22)

とあります。

 

サラさんも、神さまのお約束の言葉を「まさかそんなことありえない」という思いもあったのでしょう、鼻から相手にしないような、そんな「笑い」をもって聞いてしまいました。

 

12弟子のトマスも、「復活」のイエスさまのことを信じられず、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘穴に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」と言ってしまいました。

 

どちらの場合も理解できる心境です。

 

お二人は 「失敗」してしまいました。

「不信仰」を諫められました。

されど、感謝かな。

「不信仰」から始まった「信仰」。

 

されども、のちには、

「信仰の人」として聖書に名を残します。

 

「不信仰」であったことを素直に認め、

心改めるなら、いくらでも

やり直せるチャンスはあるのだな、と

心強く思わされました。

 

「心あらためる」のは

早ければ早いほど よいみたいですネ。

 

誤りに気がついたら

即改める素直さと謙虚さを

身に着けられますようにと思わされました。

 

感謝でした。

 

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本日の通読箇所

・レビ記20~21章

・マタイ福音書2章

 

ただでさえ日数の少ない2月です。

週末がちょうど月末にあたるなんてちょっと厳しいあせる

慌ただしくなりそうです。

心落ち着けますようにと願います。

 

ハレルヤおねがい