ピリピ人への手紙1:9-11(文語訳)
我は祈る、
汝らの愛、
知識ともろもろの悟とによりて
彌(イヤ)が上にも増し加はり、
善悪(ヨシアシ)を辨(ワキマ)へ知り、
キリストの日に至るまで潔くして躓くことなく、
イエス・キリストによる義の実を充たして、
神の榮光と誉れとを顕さん事を。
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(新共同訳)
わたしは、こう祈ります。
知る力と見抜く力とを身に着けて、
あなたがたの愛がますます豊かになり、
本当に重要なことを見分けられるように。
そして、キリストの日に備えて、
清い者、とがめられるところのない者となり、
イエス・キリストの義の実をあふれるほどに受けて、
神の栄光と誉れとをたたえることができるように。
(TEV訳)
I pray that your love will keep on growing more and more, together with true knowledge and perfect judgement.
so that you will be able to choose what is best.
Then you will be free from all impunity and blame on the Day of Christ.
Your lives will be filled with the truly good qualities which only Jesus Christ can produce, for the glory and praise of God.
(新改訳)
私は祈っています。
あなたがたの愛が
真の知識とあらゆる識別力によって、
いよいよ豊になり、あなたがたが、
真にすぐれたものを見分けられることが
できるようになりますように。
またあなたがたが、キリストの日には
純真で非難されるところがなく、
イエス・キリストによって与えられる
義の実に満たされている者となり、
神に御栄と誉れが現されますように。
(NIV訳)
And this is my prayer:
that your love may abound more and more in knowledge and depth of insight, so that you may be able to discern waht is best and may be pure and blameless until the day of Christ, filled with the fruit of righteousness that comes throught Jesus Christ--to the glory and praise of God.
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一つの原文でも 訳によって
単語の用い方など、表現の仕方が違います。
微妙な違いがあるように思いますが、
云わんとすることは つたわります。
knowledge
true knowledge
perfect judgement
depth of insight
impunity and blame
pure and blameless
the truly good qualities
the fruit of righteousness
わたしは やはり
日本語の文語訳が素敵だなと思います。
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引用します。
※新実用聖書注解P1676※
9節から、パウロにとって、
<愛>が単なる感情だけでなく、<真の知識と・・・識別力>に密接に関係していることがわかる。
また、パウロの祈りは近視眼的なものではなく、終末論的な視点が貫かれていることもわかる(特に10節<キリストの日>)。
長いですが、全文引用します。
※BIBLEnavi:P1344-1345※
【1:9】
誰かに影響を及ぼす最善の方法は、多くの場合、その人のために祈ることである。 ピリピ人のためにパウロの祈りは、彼らが愛において1つになることだった。
彼らの愛は、
キリストについてのより多くの知識とより深い理解(道徳的識別力)の結果だった。
彼らの愛は、
感情にではなく、キリストが彼らのためになさったことに基づいていた。
キリストの愛において成長するにつれて、感情と知性が共に成長しなければならない。
あなたの愛と識別力は成長しているだろうか。
【1:10(1)】
パウロは、ピリピの信者たちが、
善と悪、良いものと悪いもの、極めて重大なことと取るに足りないことを見分ける能力をもつようにと、祈った。
私たちはクリスチャンの道徳と価値観を保つことができるように、道徳的識別力を求めて祈るべきである。
ヘブル5:14は、識別力が必要であると強調している。
【1:10(2)】
「キリストの日」は、神がイエス・キリストによってこの世をさばかれるときのことだ。 キリストが今にも戻って来られるかのように、私たちは日々を生きるべきである。
【1:11】
「義の実」は、神との正しい結びつきから生まれる性格の特性のすべてを含む。 キリストによる以外に、私たちが義の実を得る方法はない。
「御霊の実」については、ガラテヤ5:22、23参照。
【1:12】
伝道師たち、福音を広めた人たちは、かっては外国の地へ行くために船に乗り込み、再び自国の海岸を見ることができると思っていなかった。 当時の世界からすれば、彼らの別れのあいさつは、最終的なものだったのだ。 もう後戻りはできなかった。
空の旅や電子メール、その他の科学技術は、世界中で離れ離れになるのをはるかに楽なものにしているが、福音の開拓者となることは、今でも非常な犠牲を必要とする。
パウロの情熱は、たとえどんな犠牲を払っても、他の人たちが イエス・キリストによる永遠のいのちという福音を悟ることに向けられていた。
霊的な暗やみの開拓前線を押し進めるためには、今日まだ開拓者たちを必要とする。
宣教師たちのために祈り、彼らを支え、彼らに加わろう。
(アーメン)
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よき献身者たちが より多くおこされて
最後の戦いの前線にたってくださいますように。
そして、われらも その働きを支えることができますように。
主イエス・キリストの御名とその栄光がほめたたえられますように。
ハレルヤ