ダビデは~起き上がり、~衣を替え、~食べ物を用意させ、食事をした。(Ⅱサムエル記12:20) | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

サムエル記下 12:15b~23

(新共同訳)

 

主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。 ダビデはその子のために神に願い求め断食した彼は引きこもり地面に横たわって夜を過ごした。王家の長老たちはその傍らに立って、王を地面から起き上がらせようとしたが、ダビデはそれを望まず、彼らと共に食事をとろうともしなかった

 

七日目にその子は死んだ

 

家臣たちは、その子が死んだとダビデに告げるのを恐れ、こう話し合った。 「お子様がまだ生きておられたときですら、何を申し上げても わたしたちの声に耳を傾けてくださらなかったのに、どうして亡くなられたとお伝えできよう。 何かよくないことをなさりはしまいか。」 

 

ダビデは家臣たちが ささやき合っているのを見て、子が死んだと悟り、言った。

 

あの子は死んだのか。」

 

彼らは答えた。

 

お亡くなりになりました。」

 

ダビデは 地面から起き上がり身を洗って香油を塗り衣を替え主の家に行って礼拝した王宮に戻ると命じて食べ物を用意させ食事をした

 

家臣は尋ねた。

「どうしてこのようにふるまわれるのですか。 お子様の生きておられるときは 断食してお泣きになり、お子様が亡くなられると 起き上がって食事をなさいます。」

 

彼は言った。

「子がまだ生きている間は、主がわたしを憐れみ子を生かしてくださるかもしれないと思ったからこそ断食して泣いたのだだが死んでしまった断食したところで何になろう あの子を呼び戻せようかわたしは いずれあの子のところに行くしかし、あの子が わたしのもとに帰って来ることはない。」

 

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午後早く、

在東京の姉妹から電話がありました。

 

「今、届きましたよっ!」

 

( *´艸`)

 

つい前日の日曜日、

「ゆうパック」で送りました。

 

彼女の好きな黒糖とサーターアンダギー。

もずくスープやカップ麺も添えて。

 

日曜日の午後。

郵便局は 混雑していました。

驚きました。

立ち位置前後の距離がとれません。

 

心なしか、緊張。

 

通所なら早くて2~3日で届くはず。

ところが、

局員さんが一人一人に説明しています。

張り紙もありました。

 

「船便のため1週間かかります」と。

 

「えっぇびっくり

 

出来立てサーターアンダギー・・。

3日以内の到着なら、

なんとか美味しく食べてもらえる!

 

そんな私の思惑は、あっさりと

潰えてしまいました。

 

諦めて、持ち帰り、

わたしのおやつと致しました。

ぼけー汗

 

ところが、

今日の連絡です。

 

日曜の午後3時前の手続き。

本日のお昼ごろの連絡ですから、

約2日以内の到着です。

 

??

 

「えっぇびっくりハッ

・・・なして??

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

小さなことですが、

わたしは、なにはともあれ、

パックに詰めればよかったと、

まず、後悔したのでありました。

 

・・・・、この悔しさショボーン

 

彼女は、日持ちする方の菓子に満足してくれて、喜びの電話をしてきてくれました。 感謝でした。気分的に落ち込み始めていたから、と言ってくれました。

 

いつのまにか、聖書の話しになりました。

 

ふと、ダビデの話しになりました。

 

すると、彼女が即座に言います。

「サムエル記ね」

 

彼女は 言いました。

「わたしには とてもできない。

ダビデのまねはできないわよぉ。

自分の子どもを亡くしたばかりよ。

わたしなら、

まだまだ泣いてばかりいるわよぉ。

そんな、すぐに立ってね、

すぐに食事をするなんて、

そんなこと、できないわよぉ・・。

だから、ダビデって人はやっぱり

王の器なのね。

切り替えが早いのね。」

 

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わたしは自分の子どもを持ちません。

だから、この場面も

「へぇ~、潔いものだなぁ」くらいの思い。

 

されど・・・、

 

彼女の意見を聞いて

 

私的に、

「子を失う親の気持ち」

を想像することの限界を感じました。

 

とともに、

ダビデの「信仰」を思いました。

 

「願う」時と、「願い」を捨てるとき。

神の取り扱いを受け入れる。

その潔さ。

 

ダビデは 当初から

預言者ナタンから告げられていました。

「生まれて来るあなたの子は必ず死ぬ。」(Ⅱサムエル12:14)

 

それでも、ダビデは 望みを捨てず、

その子のために神に願い求め断食した彼は引きこもり地面に横たわって夜を過ごした。王家の長老たちはその傍らに立って、王を地面から起き上がらせようとしたが、ダビデはそれを望まず、彼らと共に食事をとろうともしなかった

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わたしは、彼女に感謝しました。

 

電話のあと、もう一度、

この聖書箇所を味わいたく思ったのでした。

 

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引用します。

 

※新実用聖書注解P478※

 

⑦子供の死(Ⅱ12:15b-23)

 

果たして、その子は主に打たれて病気になり危篤となった(15b)。 ダビデは、ナタンの預言があったにもかかわらず、ひたすら神のあわれみを求めて(16,12)、断食し、徹夜の祈りを、地に伏してささげ続けた(16)。長老たちがダビデの身を案じ、やめさせようとしたが彼は聞かなかった(17)。

 

7日目にとうとうその子は死んだが、これまでのひたすらな祈りを知っていた家来たちは、彼自身命を断つようなことがあってはと案じ、その死の知らせを控えていた(18)。

 

しかし、その気配で死の事実を知ったダビデは、起きて身を洗い、礼拝して、食事を摂った(19-20)。

 

これに驚いた家来たちが、王のすることは逆ではないか、と尋ねた。

 

ダビデは、主のあわれみを求めてひたすら祈ったが、子供が死んだ以上、この厳かな事実はそのまま受け入れなければならない、自分がその子のところへ行くことはあるが、その逆はあり得ないのだからと答えるのであった(21-23)。

 

彼は主の取り扱いをそのまま黙して受けようとしたのである

 

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※BIBLEnavi:P288※

【12:20-24】

ダビデは罪にとどまることをしなかった。

彼は神に立ち返り、神は彼を赦し、新しい人生を始める道を開かれた。

 

神がソロモンにお与えになった「エディデヤ」(主に愛される者)という名前も、神の恵みを思い起こさせる。

 

私たちが神に立ち返り、赦しを受け取り、生き方を変えるなら、神は私たちを新しくスタートさせてくださる。

 

ダビデのように赦されたことを感じるには、神の御前で罪を認め、立ち返ることだ。

それから、新しく斬新な生き方を始めなさい。

 

【12:22,23】

おそらく人生で最も辛い経験の1つは、子どもの死だろう。

 

そのような苦境の中で慰めを受けるには、詩篇16:9-11、17:15、イザヤ40:11を参照。

 

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(詩篇16:9-11 新共同訳

 

わたしの心は喜び、魂は踊ります。

からだは安心して憩います。

 

あなたは

わたしの魂を陰府に渡すことなく

あなたの慈しみに生きる者に

墓穴を見させず

命の道を教えてくださいます。

 

わたしは

御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い

右の御手から永遠の喜びをいただきます。

 

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(アーメン)

 

 

今宵も また

安き眠りが 与えられますように。

 

ハレルヤおねがい