詩篇45編11節
「娘よ、聞け。
耳を傾けて聞き、そしてよく見よ。
あなたの民と
あなたの父の家を忘れよ。」
**********************************
もうずいぶんと前のこと。
「あなたの父の家を忘れよ」
だいぶ私的な都合ではあるけれど
この御言葉に触れたとき、
(私の中では「頂いた」思い)
当時 、
かなりの悩みの中にあって
幾分、
道を示されたような、
区切りをつけられるような、
踏ん切れるような、
「迷路」から抜け出せるような、
そんな 一言 に思え、
似たような問題で壁にぶち当たると
この一言を 頭に思い浮かべ
仕切り直しをはかってみたりした。
されど、
どうだろう。
「いさぎよさ」とは
はるか無縁のような状態。
今、ふたたび、
この句が 目の前にやってきた。
そして、
「今日」という日に。
~~~~~~~~~~~~~~~~
引用します。
※BIBLEnavi:P508※
45:1以下/45:2以下
これは、メシヤと教会、すなわちメシヤのからだである信者たちとの将来の関係を描写しているので、メシヤ詩篇と呼ばれている。 (略)
※新実用聖書注解P763※
45篇 [解説]
(略)
文字通りの解釈と霊的解釈の両方が可能である。
すなわち王と王妃の結婚を祝ったもの(Ⅰ列3:1、16:31)、あるいはイスラエルと神との霊的関係を歌ったもの、更にはキリストと教会との神秘的な結合と祝福を歌っていると考えることも出来よう(エペ5:23)。
[注解]
(略)
10節.
<娘よ、聞け>.
これは王妃となった異国からの花嫁に対する祝福と勧告である。 異国の王女が神の民の王に自分をささげ、忠実な伴侶となることは大きな祝福であり、同時に大きな責任を伴う新しい生活である。 キリストの花嫁である教会の祝福と責任が示されてる。
<父の家を忘れよ>とは、
神の国の生活に徹底・献身することである。
※クレイ聖書解説コレクション「詩篇」P102-103※
45篇「メシアにささげる愛の歌」
【メシアの麗しさ】
(略)
10~15節で、花嫁(教会)への勧めの言葉が語られています。
「娘よ。聞け。心して、耳を傾けよ。あなたの民と、あなたの父の家を忘れよ」(10節)とあります。
キリストのすばらしさを味わった者は、もはや過去の生活を振り返るべきではありません。
Ⅱコリント5:17のことばが耳に響いてきます。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」。さらに、「そうすれば王は、あなたの美を慕おう。彼はあなたの夫であるから、彼の前にひれ伏せ」(11節)とあります。
この世の富みや名声ではなく、メシアであるイエスだけを見上げて生きるなら、祝福が下ります。
私たちにとって最もふさわしい行為は、この方の前にふれ伏すことです。
試練の中にあっても、メシアだけを見上げようではありませんか。
(アーメン)
*****************************************
二人の「父」がいる。
地に住む血縁の
わたしを生んでくれた「父」、
そして
わたしを造ってくれた「父」。
救い主、贖い主。
創造主なる「父」。
地に住む「父」と
天におられる「父」。
されど、
どちらかを「選ぶ」時がくる。
どちらかを「捨てよ」と迫られる。
「父」による「恩恵」は、
どちらも はかりしれない。
されど、
「捨てる」ことを迫られるのだ。
「嗣業」とは何だろう。
私にはついに
遠ざけられた「父」の嗣業。
されど、
天なる「父」の嗣業に
慰めを得ん。
ひたすらに
感謝しよう。
手放すことの最善を
見ることができますように。
ハレルヤ