今日は曇りかな、と思っていたら
次第に 朝陽が差し込んできました。
窓を開けると、
賑やかな音が聞こえてきます。
勢いのよい声々。
なんだろう?
日曜の朝、
いつもの通り道を教会へ向かう。
なるほど、
校庭の上にひらめく旗々。
校門前には かき氷屋さん?
ひと昔前には見られない
運動会光景。
それでも、
「運動会」の光景は、
なんだか 遠い昔を思い出させる。
やっぱり、
「小学校」といえば、「運動会」。
校庭奥の木陰で敷物を引いて
お弁当をいっぱいに広げて
皆で食べた記憶も もうおぼろげ。
なつかしい。
末っ子の妹が、こう言った。
「あなたが、卒業してからは、
わたし、おベントだけ作ってもらって
一人で運動会に行ったよ。」
えっ?
「父、母は?こなかったの?」
「うん。・・・。
親がこられない子供同士がね、
集まる教室があってさぁ、
そこでみんなで一緒に食べたんだヨネェ。」
妹は、なぜ、「来なくていい」と親に言ったのだろうか?
親も親で なぜ 運動会に行かなかったのだろうか?
・・・・。
わが「末っ子」の知られざる秘話を聞かされた思いでありました。
写真の貼り付け失敗。削除できませんでした。
そのまま掲載します。
*************************
2019年11月3日日曜日
本日の結果
★朝一測定(前日比)
※体重 0.2kg 減
※体脂肪率 0.4%減
※基礎代謝 1255(+3)
※血圧 118/77
★本日の摂取熱量 約876kcal
★本日の摂取糖質量 約89g
★本日の歩数 641歩 14kcal消費
(夜間、外に出た分は除外)
■朝食 約264kcal / 約36g
①玄米ごはん(雑穀、もち麦入り)50g 83.775kcal/17.29g
②目玉焼き50g 75.51kcall/0.15g
③キウイとヨーグルト 34.491kcal/6.08g
・ヨーグルト50g ・キウイ33g
④付け合せ(作り置き食材) 26.72kcal/3.1g
・ピクルス40g ・かぶの葉50g
⑤青汁200ml 37.25kcal/4.81g
・ユーグレナ1包 ・コラーゲン2.5g ・シークワーサー50ml
⑥コヒー1杯 6kcal/1.1g
■昼食(外食:カプチョ) 612kcal / 56.6g
①いろいろ野菜の菜園風サラダ 237kcal ?/8g ?
②たっぷり野菜と挽き肉のミネストローネ 369kcal/47.5g
③コヒー1杯 6kcal/1.1g
■夕食 無し
~~~~~~~~~~~~~~~~
・カプチョのいつものメニュー。
ミネストローネの糖質量に驚きました。
半分量でも1食分の糖質量を超えてしまいます。
外食は、隠れ「糖質量」に要注意のよう。
しばらく、「カプチョ」には行けません・・。
本日は
これ以上糖質をとるわけにもいきません。
夕食は控えます。
~~~~~~~~~~~~~~~
《一口メモ》
・糖質制限によって何が変化するか!
※糖質制限によって正常化される人体機能※
①血糖値の変動幅が小さくなる
②血流がよくなる
③ホルモンバランスが整い代謝が安定する
④神経系が安定する
⑤免疫系が正常になり、自然治癒力が高まる
---「糖質制限の大百科:江部康二監修:洋泉社」P19参照--
・今のところ、「糖質制限」は
私的な体質にもあっているように思われます。
安心して 進めていきたいと思います。
********************************
今日一日も そろそろ 終わりです。
今日は、夕食の記録が不要となりました。
早めの〆。
世の中はといえば、「3連休」。
そういえば、
昨年の今頃、
「旅」を妹からプレゼントされたのでした。
わたしは、東京で開かれた
「ユダヤ人の宣教師」の講演に出かけました。
お恥ずかしいのですが、
内容は 覚えておりません・・・。
でも、そこから、
じょじょに 「教会」復帰の道をたどりました。
「妹」への 感謝を表したかったのでした。
「妹」の誘いには なるべく従うことにしました。
苦しい1年は、
「病気」という贈りものを私に残して
過ぎ去ってしまいましたが、
だからといって 時はもとにもどせず、
やり直しもきかない。
厳しい現実ではあります。
でも、今は、なににせよ、
「教会」へ連なることができるだけで、
幸いなのです。
「息」ができる思いです。
それも、
ようやく
1年を経過するをもって
「教会」生活にも
落ち着きを見い出してきたように思われます。
母教会ではあるのですが、
そこには いろいろと
十数年来の複雑な状況もあります。
でも、
何十年ぶりかで戻った私を
覚えていてくださる方も多くいて、
笑顔と優しさで声をかけてくださったのには
本当に 感謝しています。
この「教会」、「教団」に
なぜ「分裂」が起こるのか。
この問いは私的にも謎のまま。
でも、いつか 必ず
「一致」をみると信じています。
「個人の在り方」に焦点をあわせよう、
と 今は思っています。
「教会」の「礼拝」には
キリストにある方たちの祈りと賛美があります。
目には見えなくても
「霊」における「作用」と「働き」は
そこに集う者への「影響」を
必ず及ぼしていると思えます。
講壇から発せられる「みことば」で清められる、とも言います。
私が強く感じるのは、「霊の空気」。
集いきし方たちの「祈り」の中に身を置くとき
とても 厳かな気持ちになります。
一人一人の
聖霊の賜物を感じざるを得ません。
他者の介入の及ばない
その方と唯一の神、
主イエスとの繋がりがあって
それに触れるとき
おもわず「慎み」を抱かざるを得ないのです。
感謝です。
ハレルヤ