Ⅰテモテ6章17節 (新共同訳)
この世で富んでいる人に命じなさい。
高慢にならず、
不確かな富に望みを置くのではなく、
わたしたちにすべてのものを豊かに与えて
楽しませてくださる神に望みを置くように。
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文語訳ですと、もっと素晴らしい響きなのです。
(文語訳Ⅰテモテ6:17-19)
汝この世の富める者に命ぜよ。
高ぶりたる思をもたず、
定めなき富を恃まずして、
唯 われらを楽しませんとて
萬の物を豊に賜ふ神に依頼み、
善をおこなひ、
善き業に富み、
惜しみなく施し、
分け與ふることを喜び、
かくて己のために善き基を蓄へ、
未来の備えをなして
眞の生命を捉ふることを爲よと。
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「唯 われらを楽しませんとて
萬の物を豊に賜ふ神に依頼み」
この箇所に触れたとき、
神さまの御心は
「わたしたちを楽しませたい」?
わたしたちを楽しませるために
「すべてのものを豊に賜う」!?
神さまは
わたしたちを 楽しませたい。
あぁ、なんてことだろう、
と 思ったのでした。
過ぎた水曜の晩の集会で
お話とは別に
つらつらと手もとの聖書をめくったときに
この御言葉が 心に残ってしまったのでした。
前後の文脈とか、
ほんとうの意味とか、
そういうものは もういいのです。
ただ、
「唯 われらを楽しませんとて萬の物を豊に賜ふ神」
であられるという事実。
「子」を思う「親」の心のように
「肉親」の愛を感じるように
ひたひたと
穏やかにも豊かな「主」の慈愛を感じたのでした。
そして、
深い安心感で満たされました。
神の愛を 信じる。
神の愛を 信じよう。
神の目的を 信じよう。
神の真実を知って
ますます 神の御心を知りたいと願う。
ハレルヤ!