列王記下7:12-15・・エリシャの奇跡(12-6)・・偵察隊(命がけで真実を見る者たち) | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

列王記下7:12 (新共同訳)

夜中に王は起きて家臣たちに言った。

アラム軍が我々に対して計っていることを教えよう

我々が飢えているのを知って、彼らは陣営を出て野に隠れ、

『イスラエル人が町から出てきたら、彼らを生け捕りにし、

町に攻め入ろう 』 と 思っているのだ。」

 

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城門の外で死を待つばかりだった4人の患者たち。

かられは 「良き知らせ」を 王家の人々に携えてきた。

門衛は その「良き知らせ」を 叫び伝えた。

門衛は その「良き知らせ」を 信じた。

 

門衛は 伝えた。

「アラム軍の陣営には誰もおらず、人の声もなく、

馬やろばがつながれたままで、天幕もそのままである」

門衛は 喜び勇んで 叫び伝えたのでしょう。

「助かった」と信じて伝えたのでしょう。

 

ところが、王の心はとても 冷めていました。

「そんなことがあるはずはない。」

 

人の判断基準は 「自分」を超えることはないのだと思います。

常日ごろ 王さまは、いかに 敵を欺くか、

自分に敵対するものをいかに陥れるかを 常に探っている、

そんな「思考」の中に生きているのでしょう。

そんな 状態の 王様の「心」は、

風前の灯の「命」に与えられた、

万に一つの吉報すらも信じられず、危うく

千載一遇の機会を逃してしまうところだった。

 

賢く、慎重な部下は 幸いを もたらします。

家臣の一人が 王様に 提言します。

 

「ここに残っている馬の中から五頭を選び、

それに人を乗せて偵察に送りましょう。

彼らも、ここに残っているイスラエルのすべての民衆、

また既に最後を遂げたイスラエルのすべての民衆と

同じ運命にあるのです。」 

 

つまり、どうせ、皆、ここで、「死」ぬのだから、

 敵陣へ偵察に送りましょう、と言っている。

そこで敵にやられて「死」んでも ここで「死」を迎えても

変わりないのだから、犠牲者を選べ、と。

 

王さまは部下の提案を受け入れて、

部下が選んだ 馬と二台の戦車に 偵察に行かせます。

 

そして、今度は 間違いなく「吉報」が届けられたのでした。

 

列王記下7:15

彼らはアラム軍の後を追って、ヨルダンまで来たが、

その道はどこも

アラム軍が慌てて投げ捨てた衣類や武具で満ちていた

使いの者たちは帰って来て このことを 王に 報告した。

 

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命がけで「偵察」に行く部下たちも 潔いものです。

 

私は、今、wowowで放映されている「三国志--軍師連盟」を

毎週楽しみで、毎回録画をして観ています。ドラマは佳境に近づき

ようやく 諸葛孔明の登場とその戦いに入りました。

これまで 「司馬仲達」を詳しく描いたドラマを知りませんでしたので、

とても楽しく、興味深く 拝見しています。

どの世界でも 戦国の世では「偵察」者は必須です。

その都度 私もハラハラします。「偵察」は常に 「命がけ」です。

 

このように、イスラエルの神、全世界の神、わたしたちの神も

御自分の民の中に 各時代を通して 神の「預言者」を 送られた。

その結果の多くは 見事なまでに無残でした。

 

幸い、この時、偵察隊は 無事 帰ってきました。

そして、民とイスラエルの「救い」を告げ知らせたのでした。

 

「真実」と向き合うことは 時に 「命」がけ なのでした。

 

もし、時の王さまが 賢い部下の提言を無視し、頑なであったら

この「救い」はもたらされず 民もろとも全滅していたのでしょう。

それは、さすがに 主の御心ではありません。

賢い臣下を用いて 賢い提言を引き出してくださったのも、

「主」ゆえなのでしょう。

 

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思えば、信仰生活も、やはり、

「一匹オオカミ」では いずれ 破綻をきたしてしまうのでしょう。

”自分一人”では 間違いに気がつくことは難しいのでしょう。

 

不信仰に陥ったとき

信仰ある友の ふとした一言が ハット我を目覚めさせる。

そんな経験を 幾度も与えられるとすれば 幸い。

 

何か 行動を起こせないでいるとき

それは ただの懐疑心や猜疑心からなのか、

それとも 分別ある慎重さゆえなのか、

見分けるコツは何だろう。

 

自分に近しいところにいる 他者の「言葉」を振り返ってみるのも

よいのかもしれない。時には耳に痛くとも 聞くべきなのでしょう。

(雑感)

 

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人は恐怖の罠にかかる。

主を信頼する者は高い所に置かれる。

(箴言29:25)

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アーメン ハレルヤ!