列王記下6:16・・・エリシャの奇跡(11)ドタンの包囲 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

列王記下6:16-17a (新共同訳)

するとエリシャは、

恐れてはならない

 わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い

と言って、主に祈り、

主よ、彼の目を開いて見えるようにしてください」と願った。

 

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列王記6章の8節から いよいよ、

アラム(シリヤ)軍に包囲されるイスラエルの町々が描かれていく。

その頃のアラムの王は、ベン・ハダデ2世。

一方、イスラエルの王はオムリ王朝、アハブの子、ヨラム。

 

アラムの王は、預言者エリシャが自分たちの企てを知り、

ヨラムに報告してしまうので、イスラエルに侵入することが

できなかった。エリシャの預言のゆえに、

ヨラム王はアラムからの侵入を受けることがなかった

(Ⅱ列6:8-23)。-‐-‐--(新聖書辞典P1497)

 

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「わが主君、王よ、

イスラエルには預言者エリシャがいて、

あなたが寝室で話す言葉まで

イスラエルの王に知らせているのです」

 

 激怒したアラム王は エリシャの居所をつきとめさせる。

 

アラムの王は、軍馬、戦車、それに大軍をそこに差し向けた。

彼らは夜中に到着し、その町を包囲した。

 

その頃エリシャは「ドタン」という町にいた。

サマリヤから北へ15Kほどの台地にたつ町だった。

 

エリシャの従者が 朝早く起きて外に出てみると、

軍馬や戦車を持った軍隊が町を包囲していた。

 

どんなに肝を冷やしたことだろうか。

驚きと恐れに気は動転してしまう。

 

その時発せられた エリシャの言葉。

恐れてはならない

わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い

 

どんな時でも 平静でいる 預言者エリシャ。

神とともに生きる、ということは 絶対的な平和を得ているかのようだ。

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実際、エリシャの従者の”霊の目”が開かれたとき、

火の馬と戦車がエリシャを囲んで山に満ちている」のを

彼は 目撃したのだった。

 

”霊の目”をもて 眺めるとき、

そこに”主の軍勢”を見ることができる。

 

なんと 心強いだろうか。

 

エリシャは 従者のために まず 祈ってくださいました。

 

霊の眼が開かれるために、まず 主に祈ることを 学びます。

主よ、わが目を開き 見えるようにしてください 」と

 

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「クリスチャン生活とは」

 

忠実なクリスチャン生活を送ろうとする者の周りには、

目には見えないが、無数の力ある存在が置かれている。

このことを常に思い起こそう。

 

私たちはよく、

クリスチャン生活は困難に満ちたものだと不平を言う。

クリスチャンが受ける助けについて語るよりも、

不平を言うことのほうが多いように思う。

その結果、多くの人たちが、

イスラエルの民が犯したつぶやきの罪を犯してしまうのである。

イスラエルの民は、

小さな事件を大事件のように扱い、大騒ぎした のだ。

 

しかし、霊的に盲目になっている人には見えないが、

クリスチャン生活には輝かしい側面もある。

落胆した人は、往々にしてその輝かしい側面を忘れてしまう。

敬虔に生きようとする人には、多くの困難が襲ってくる。

しかし、それ以上の助けがその人には与えられる。

私たちは、誘惑に勝る助けがあり、

落胆に勝る天からの励ましがあるのだ。

Biblical Illustrator (J . G . Greenhough , M . A . )

精選 K . N

- - - - - - - - - -クレイ解説コレクション列王記P381より-‐-‐-‐--

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アーメン ハレルヤ!