列王記下5:20・・・エリシャの奇跡(9-4)・・ゲハジの貪欲が引き寄せたもの | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

列王記下5:20 (新共同訳)

神の人エリシャの従者ゲハジは、

わたしの主人は、

  あのアラム人ナアマンが持って来たものを

 何も受け取らすに帰してしまった。

 主は生きておられる。

 彼を追いかけて何かもらってこよう

と言って、ナアマンの後を追った。

 

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ナアマンの章は、エリシャの従者ゲハジの失敗で終わる。

 

異邦人ナアマンの受けた癒しと信仰と喜びと感謝とは対照的に、

従者ゲハジが、貪りのあげくに受け取ったものは、

ナアマンから取り除かれたはずの「重い病」そのものであった。

彼は 「呪い」を 受け取ってしまった。それも子々孫々。

なんと悲しいことだろう。

 

帰路につくナアマン一行を追いかけて、

ゲハジは、彼に言う。

 

わたしの主人がわたしを遣わしてこう言いました

『今し方 預言者の仲間の若い者が二人

エフライムの山地から着いた。

彼らに銀一キカルと着替えの服二着を与えてほしい。』 」

 

これは真っ赤な嘘でした。

神の人エリシャの名を使って偽り、品々を要求したゲハジ。

この行為は、預言者とその仲間をも貶めるように思えます。

 

ゲハジは、どうしてこのような行為をしてしまったのでしょう?

欲望は誰にでもありますが、

特に、ゲハジはその時代の最高の預言者に仕えており、

また、いずれ神に仕える者として自立するはずのゲハジです。

その立場を思えば、潔く、その「欲望」に勝利すべきでした。

 

ナアマンは、喜んで、より多くを与えました。

二つの袋に銀二キカルを詰め、着替えの服二着を添えて

持たせた、とあります。

 

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ゲハジの考えの底にあるもの、

それを 解説してくれている箇所がありました。

 

※クレイ解説コレクション列王記P376より※

ゲハジの理屈は、こうです。 イスラエルの敵であるアラムは、

イスラエルから多くの富を略奪していった。それゆえ、

その富を取り戻すことは悪いことではない。--------

 

なるほど、です。

誰もが陥りがちな身勝手な、ご都合主義の理屈かもしれません。

 

ゲハジは、手に入れた銀で、

「オリーブ畑やぶどう畑、羊や牛、男女の奴隷」を買うつもりでした。

将来にわたる暮らしを保証してくれる「財産」を欲したのでした。

 

このような欲望は、「人」であれば 身につまされるもので、なにも

ゲハジ一人を責められるものではないようにも思えますが、ただ、

ゲハジの立場を考えると、一般人とは同等にはできないところです。

 

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ゲハジは、何ごともなかったかのように、エリシャの元に戻りました。

ところが、エリシャには すべてお見通しでした。

 

「ゲハジ、お前はどこに行っていたのか。」

「僕はどこにも行っていません。」

 

「どこにいるのか」と その昔、

アダムにお声をかけた 主なる神を ふと 思い出します。

 

不都合なことを隠そうとする「心」が 働きます。

 

エリシャは言った。

「あの人が戦車から降りて引き返し、お前を迎えたとき、

わたしの心がそこに行っていなかったとでも言うのか

今は 銀を受け、衣服、オリーブの木やぶどう畑、羊や牛、

男女の奴隷を受け取る時であろうか。

ナアマンの重い皮膚病が

お前とお前の子孫にいつまでもまといつくことになるのに。」

 

ゲハジは重い皮膚病で雪のようになり、

エリシャの前から立ち去った

 

列王記下5章は この行で終わります。

ゲハジは エリシャの前から立ち去ります。

その昔、アダムとエバも 主なる神の御前から 立ち去りました。

 

一つの「欲望」が招く結果。

 

「望み」と「欲望」とは 似て非なるものなのでしょう。

 

 

BibleNavi:p331を引用します。

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ゲハジは、

エリシャが拒んだ謝礼を身勝手にも求めることで、

富を得るまたとない機会が来たと思った。

不幸なことに、

彼の計画には3つの問題があった。

 

ゲハジは 他人に提供された金を意図的に受け取った。

彼は 神が無償でお与えになるいやしとあわれみが

金と交換できると暗に示したが、それは間違っていた

彼は金を受け取る動機を嘘で隠そうとした

 

ゲハジは 役に立つしもべであったが、

神に仕えることより 自分の利得が大事と

考えるように なっていた

 

この箇所は、

金が邪悪であるとか、働きを無償で行うべきだということを

教えているのではなく、貪りと偽りに対する警告である。

 

真の奉仕は、

神への愛と献身によるものであり、

個人の利得を求めるものではない。

神に仕えるときには 目的をよく考えよう。

神と金の両方に使えることはできない。

(マタイ6:24)

 

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だれも

二人の主人に仕えることはできない。

一方を憎んで他方を愛するか、

一方に親しんで他方を軽んじるか、

どちらかである。

あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

(マタイ6:24)

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アーメン ハレルヤ