列王記下5:14・・・エリシャの奇跡(9)・・「ナアマン隊長の癒し」から学べること | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

列王記下5:14 (新共同訳)

ナアマンは

神の人の言葉どおりに下って行って、

ヨルダンに七度身を浸した。

彼の体は元に戻り、

小さい子供の体のようになり、

清くなった。

 

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列王記下5章は、章まるごと、

ナアマン隊長の証しで満ちている。

 

聖書辞典を引いてみた。

■ナアマン

アラム(シリヤ)の将軍で、地位も名誉もありながら、

ツァラアト(重い皮膚病)のために悩んでいたが、

神の人エリシャに会うように勧められ、

エリシャによって奇蹟的にツァラアトがいやされ、

イスラエルの主ヤハゥエを信じるようになった。

(Ⅱ列5:1-27)

イエスは彼のことに言及している。(ルカ4:27)

 

(ルカ4:27)

また、預言者エリシャの時代に、

イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、

シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。

 

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ナアマン隊長の一連の証しから学べることが多くあります。

まず、

捕虜として連れてこられた

一人のイスラエルの少女の存在です。

彼女は、ナアマンの妻の召し使いとなりました。

これが、この奇跡の始まりの発端となりました。

神の摂理をおもわざるを得ません。

 

捕虜として連れてこられた一人のイスラエルの少女、

その彼女が、女主人に発した「言葉」、

小さき者のことばから、この物語は始まるのでした。

 

御主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、

その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに。

 

その「言葉」は、ナアマンを動かしました。

 

ナアマンの悩みはそれほどに深かったのでしょう。

捕虜として連れて来た他国の少女の「ことば」にさえも、

すがりつき、望みをたくすナアマンです。

 

時のアラムの王(ベン・ハダデ二世)も 寛容です。

ナアマンという人は それほどに王の心を捉える人物です。

アラムの王は、ナアマン一行に、

”銀十キカル(342kg)、金6千シェケル(68,400g)、着替えの服十着”、

そして、イスラエルの王宛てに自らの親書を持たせました。

 

「今、この手紙をお届けするとともに、

家臣ナアマンを送り、あなたに託します。

彼の重い皮膚病をいやしてくださいますように。」

 

しかし、

この手紙を受け取った イスラエルの王は、

アラムの王が言いがかりをつけてきた、と憤怒してしまいました。

イスラエルにも重い皮膚病を患っている人が多くいた”と

ルカ4:27でイエス様が言及されている通りの状況です。

「王」ですら、その病には太刀打ちできません。

王は、その衣を裂いて憤慨を隠せませんでした。

(衣を裂くことは、驚きと悲しみの表現だそうです。)

 

そこで、エリシャの登場です。

イスラエル王の動揺を聞き知るや、エリシャは王に使いをおくります。

 

その男をわたしのところによこしてください。

彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」

 

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ナアマンは

数頭の馬と共に戦車に乗ってエリシャのもとに来た、とあります。

ところが、エリシャは、ナアマン隊長を出迎えるでもなく、

直接会うこともなしに、使いの者をやって 「ことば」をおくるのです。

 

その治療法はというと、

 

ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。

そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」

 

たったそれだけでした。

 

遠路はるばるやってきたナアマン隊長。

アラム王の親書を託されるほどの人物です。

数々の功績があり、祖国では高官であり、敬われる存在でした。

ところが、

エリシャは、会うことすらせずに、

使いの者の”伝言”で済ませたのでした。

 

ナアマン隊長にすれば、

自分が軽んじられた、と思うのも当然です。

ナアマン隊長もまた、

エリシャのこの様な態度に憤慨してしまいます。

 

彼が自ら出て来て、わたしの前に立ち、

彼の神、主の名を呼び、患部の上で手を動かし、

皮膚病をいやしてくれるものと思っていた

イスラエルのどの流れの水よりも

ダマスコの川アバナやパルパルの方が良いではないか。

これらの川で洗って清くなれないというのか。」

 

憤懣やるかたなき ナアマン隊長は 立ち去ろうとします。

ところが、彼の家来たちが、彼を諫めるのでした。

 

「わが父よ、

あの預言者が大変なことをあなたに命じたとしても、

あなたはそのとおりになさったにちがいありません。

あの預言者は、 『身を洗え、そうすれば清くなる』 と

言っただけではありませんか

 

 

賢明な部下をもつ者は なんと幸いでしょうか。

ナアマン隊長を立てながらも、

事の次第を冷静に判断し勧言しています。

 

ナアマン隊長は ついに

神の人の言葉に従うのでした。

 

神の人の言葉どおりに下って行って、

ヨルダン川に七度身を浸した

彼の体は元に戻り、

小さい子供の体のようになり、清くなった。

 

 

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ヨルダン川は、

パレスチナ最大の川で、北のヘルモン山に端を発し、

ガリラヤ湖を経て南下し、死海に流れ込んでいる。

全長は直線距離で約217キロ、蛇行距離では400キロに及び、

日本最長の信濃川をしのぐ。

 

ヨルダン川は、4つの源泉をもっている。

その一つであるヘルモン山近郊にあるナハル・バニアスから、

約64キロの所にあるフーレ湖沼(長さ6.4キロほど)に流れ込み、さらに、

ガリラヤ湖までの18キロ(直線距離)、かなりの泥を運んで流れている

それでも、

死海に流れ込む下流に比べると ずっときれいな流れである。

 

アラム(シリヤ)の将軍ナアマンがツァラアトをいやされたのは、

泥土で濁ったヨルダン川においてである (Ⅱ列5:10)。

(新聖書辞典P1497-1499参照)

 

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三人の登場人物に学びます。

 

捕虜の少女、イスラエルの王、そして ナアマン隊長。

 

捕虜となった少女のささやかな「言葉」が

ナアマンを動かしました。

主は小さき者の信仰の言葉から 事態を繰り広げられました。

主は、小さき者の信仰を顧みられることを 学びます。

 

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イスラエルの王についての学びを、

「クレイ解説コレクション列王記P369」から引用します。

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イスラエル王は、この親書の解釈を誤った。

隣国の王からの親書を額面どおりに真実なものとは受け取らず、

偽りと策略に満ちたものと判断した。

この疑り深い性格は、どこから来るのか。

その背後には、次の2つの理由のいずれかが潜んでいる

(両方とも潜んでいる場合も多い)。

 

1)社会が堕落しているとの認識

 疑り深い人は、観察、隣人の証言、あるいは体験などを通して、

自分が住んでいる社会には偽りと嘘が横行していることを認識してい

る。それゆえ、人に騙されないように過剰な自己防衛に走るのである。

 

2)彼自身の内にある邪悪

 疑り深い人は、自分が自己中心的で、偽りに満ちた人間であることを

知っている。そして、他の人たちも自分と同じような心を持っていると思

い込んでいるのだ。

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そうであれば、なんと悲しいことだろう。

イスラエルの王の心に、平安が宿るのは難しいのだろう。

たとえ「人」や「自分」を信じることができなくても、

神の憐れみ にこそ 平安を見出すことができようぞ・・・・。

 

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ナアマン隊長から学びます。

「BibleNavi:P330」から引用します。

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偉大な勇者ナアマンは尊敬されることに慣れていたので、

エリシャから一般人と同じように扱われること激怒した。

高慢なナアマンは最高の治療を期待していた。

大河で身を洗うならまだしも、ヨルダン川は小さく汚い川だった。

ヨルダン川で身を洗うのは、

自分のような地位にある者にはふさわしくないとナアマンは思った。

(略)

ナアマンは病気の治し方が簡単すぎると思ったため、激怒して去った。

彼は 英雄だったので、英雄にふさわしい治療を期待していた。

高ぶりと強情でいっぱいのナアマンは、

信仰による単純ないやしを 受け入れることができなかった。

 

神が どうように 単純な方法で赦しを与えようとなさると、

ナアマンのような反応をする人々がいる。

 

イエス・キリストを「信じる」だけでは、

永遠のいのちを得られるほどの重みが

足りないように感じられるのである。

 

神のご命令に従うことは、

英雄にふさわしく見えないものである。

 

ナアマンがツァラアトを洗いきよめていただくために

しなければならなかったことは

私たちが自分の罪を洗いきよめていただくためにすべきことと同じ

----神のあわれみをへりくだって受け入れること-------である。

 

信仰のあり方に対するあなたの反応が原因で、

最も必要ないやしを受けられなくなってはならない

 

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ナアマンは、

預言者を通して語られた【主】のことばを信じました。

その信仰が祝されたのです

 

数字の7は、この癒しが神からのものであることを示しています。

神のことばには力があります。

神のことばを受け入れ、それを実践する人は幸いです

(クレイ解説コレクション列王記p372)

 

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「自分の方法、自分の思い描くやり方」に固執するのではなく、

「神の方法」があることを知り、そして悟り、

「神の方法」に、単純に、「従う」ことを学べたら 幸いだと思いました。

アーメン ハレルヤ!