サムエル記下20:3・・・やもめのような側女たち、その生涯に思う | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

サムエル記下20:3 (新共同訳)

ダビデはエルサレムの王宮に戻ると、

家を守るために残した十人の側女を集め、

監視付きの家に入れた。

彼は側女たちの面倒は見たが、

彼女たちのところに入ることはなかった。

彼女たちは死ぬまで閉じ込められ、

やもめのような生涯を送った。

 

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(雑感)

ダビデが王宮に帰還後最初に行ったことは、ハーレムの回復だった。

アブサロムと関係をもってしまった側女たちは、ダビデの信頼を得る

ことはできなかった。そして、アブサロムによって”汚されてしまった”

存在だった。生涯、監視付きの家で過ごさなければならなくなった。

王の側室という身分のため、他の男性へ嫁ぐことも許されなかった。

 

彼女たちは死ぬまで閉じ込められ、

 やもめのような生涯を送った。」

 

女性であれば、この一文に

何かしら感じるところがあるのではないでしょうか。

わたしの乏しい想像力をしても、なんとなく、

彼女らの 哀れさを 感じました。

 

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「側室」と検索すると、

「正室」は家族的位置であるのに対し、

「側室」は使用人レベルの格付けであったと解説していますが、

ほんとのところはどうであったのでしょう。

「側室」の存在は 時の 頂点の位にある男性の

男系の子孫を残すための「策」であるとしています。

女性一人が産める子の数には限界があるのは、確かです。

 

ソロモン王さまも、700人の妻と300人の側女を所有していました。

実はこれが、王国を分裂させ、滅亡に招いた一つの要因となりました。

 

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「やもめ」の定義は、何でしょうか。

新聖書辞典を開きました。

夫と死別し独身となっている女性。

古代のやもめは 特別な衣服をつけ (創38:14)、

荒布をまとい、髪を編まず、

その身を飾らず、顔に油も塗らなかった 。

とありました。

 

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ダビデの10人の側女たちは 

「やもめ」のようだったとあります。

10人の女性、といっても

10人の命は 個性あるそれぞれなのですが、

「10人の側女」と くくられてしまっています。

私には、それすら、悲しく 感じます。

 

何故に、側女 となってしまったのでしょう。

政略もあったのでしょうか。

また、純粋にダビデ王にみそめられたのでしょうか。

健康で美しく、若い女性たちであったに違いないのです。

 

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神は やもめ に特別なあわれみを示し

(申10:18、詩68:5/68:6、146:9、箴15:25、エレ49:11)

 

人々に正義と愛をもって彼らを救うことを命じられた。

(出22:22/22:21、申14:29、16:11、14、24:17-21、

イザ1:7、エレ7:6、22:3、ゼカ7:10、マラ3:5)

------新聖書辞典P143~-------

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ダビデ王さまは、10人の側女の面倒を見た、とあります。

本来なら、彼女たちは 処分(処刑?)されてもよかったのでしょうか。

彼女たちはそれでも、着る物食べ物、住まう所は保障されたのでした。

残りの生涯を どのように過ごしたのでしょう。

何を目指して 生きたのでしょう。

 

それに比べると、今の時代、社会は女性にとって開かれています。

国によっては いまだ閉塞感のただよう社会はありますが、

日本という国にあっては、女性の生きる選択肢は広がりました。

 

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神さまは 人を 男と女とに 造られた。

 

そういうことなのです。

 

ちなみに、わたしは、「やもめ」のような生涯をおくっております。

選んだつもりはないのですが、結局そのようになってしまいました。

でも、

「やもめ」を憐れんで下さる神の御心が 聖書には記されています。

「やもめ」であるということは、

神の御慈愛に応答して生きる道がある、ということだと思います。

と、我が身を慰め、励ます日々でございます。

 

この「やもめ」道を 生き抜くに、

目標とするご婦人が一人思い浮かびます。

 

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ルカ福音書2:36-38

また、アシュル族のファヌエルの娘で、

アンナという女預言者がいた。

非常に年をとっていて、

若いとき嫁いでから七年間 夫と共に暮らしたが、

夫に死に別れ、八十四歳になっていた。

彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、

夜も昼も神に仕えていたが、

そのとき、近づいて来て神を賛美し、

エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に

その幼子のことを話した。

※※※※※※※※※※※※※※

 

彼女は、

幼子イエスを腕に抱いたシメオンとともに

待ち望んでいた「メシア」を まじかに目撃し、

神の栄光を拝することができたのでした。

 

ハレルヤ