サムエル記下20:3 (新共同訳)
ダビデはエルサレムの王宮に戻ると、
家を守るために残した十人の側女を集め、
監視付きの家に入れた。
彼は側女たちの面倒は見たが、
彼女たちのところに入ることはなかった。
彼女たちは死ぬまで閉じ込められ、
やもめのような生涯を送った。
(雑感)
ダビデが王宮に帰還後最初に行ったことは、ハーレムの回復だった。
アブサロムと関係をもってしまった側女たちは、ダビデの信頼を得る
ことはできなかった。そして、アブサロムによって”汚されてしまった”
存在だった。生涯、監視付きの家で過ごさなければならなくなった。
王の側室という身分のため、他の男性へ嫁ぐことも許されなかった。
「彼女たちは死ぬまで閉じ込められ、
やもめのような生涯を送った。」
女性であれば、この一文に
何かしら感じるところがあるのではないでしょうか。
わたしの乏しい想像力をしても、なんとなく、
彼女らの 哀れさを 感じました。
「側室」と検索すると、
「正室」は家族的位置であるのに対し、
「側室」は使用人レベルの格付けであったと解説していますが、
ほんとのところはどうであったのでしょう。
「側室」の存在は 時の 頂点の位にある男性の
男系の子孫を残すための「策」であるとしています。
女性一人が産める子の数には限界があるのは、確かです。
ソロモン王さまも、700人の妻と300人の側女を所有していました。
実はこれが、王国を分裂させ、滅亡に招いた一つの要因となりました。
「やもめ」の定義は、何でしょうか。
新聖書辞典を開きました。
夫と死別し独身となっている女性。
古代のやもめは 特別な衣服をつけ (創38:14)、
荒布をまとい、髪を編まず、
その身を飾らず、顔に油も塗らなかった 。
とありました。
ダビデの10人の側女たちは
「やもめ」のようだったとあります。
10人の女性、といっても
10人の命は 個性あるそれぞれなのですが、
「10人の側女」と くくられてしまっています。
私には、それすら、悲しく 感じます。
何故に、側女 となってしまったのでしょう。
政略もあったのでしょうか。
また、純粋にダビデ王にみそめられたのでしょうか。
健康で美しく、若い女性たちであったに違いないのです。
神は やもめ に特別なあわれみを示し
(申10:18、詩68:5/68:6、146:9、箴15:25、エレ49:11)
人々に正義と愛をもって彼らを救うことを命じられた。
(出22:22/22:21、申14:29、16:11、14、24:17-21、
イザ1:7、エレ7:6、22:3、ゼカ7:10、マラ3:5)
------新聖書辞典P143~-------
ダビデ王さまは、10人の側女の面倒を見た、とあります。
本来なら、彼女たちは 処分(処刑?)されてもよかったのでしょうか。
彼女たちはそれでも、着る物食べ物、住まう所は保障されたのでした。
残りの生涯を どのように過ごしたのでしょう。
何を目指して 生きたのでしょう。
それに比べると、今の時代、社会は女性にとって開かれています。
国によっては いまだ閉塞感のただよう社会はありますが、
日本という国にあっては、女性の生きる選択肢は広がりました。
神さまは 人を 男と女とに 造られた。
そういうことなのです。
ちなみに、わたしは、「やもめ」のような生涯をおくっております。
選んだつもりはないのですが、結局そのようになってしまいました。
でも、
「やもめ」を憐れんで下さる神の御心が 聖書には記されています。
「やもめ」であるということは、
神の御慈愛に応答して生きる道がある、ということだと思います。
と、我が身を慰め、励ます日々でございます。
この「やもめ」道を 生き抜くに、
目標とするご婦人が一人思い浮かびます。
ルカ福音書2:36-38
また、アシュル族のファヌエルの娘で、
アンナという女預言者がいた。
非常に年をとっていて、
若いとき嫁いでから七年間 夫と共に暮らしたが、
夫に死に別れ、八十四歳になっていた。
彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、
夜も昼も神に仕えていたが、
そのとき、近づいて来て神を賛美し、
エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に
その幼子のことを話した。
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彼女は、
幼子イエスを腕に抱いたシメオンとともに
待ち望んでいた「メシア」を まじかに目撃し、
神の栄光を拝することができたのでした。
ハレルヤ