サムエル記下2:23 (新共同訳)
だがアサエルは頑として離れなかった。
アブネルは槍の石突きでアサエルの下腹を突いた。
槍は背中まで突き抜け、アサエルは倒れ、その場で死んだ。
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BibleNavi--P277
2:21-23
アブネルはアサエルに対し、引き返さなければ命を保証
しないと繰り返し警告したが、アサエルは自らに課した義
務を翻そうとしなかった。
粘り強さは、価値ある目的のためなら美点である。
しかし、
目指すものが個人的名誉や利得に過ぎなければ、
それは単なる頑固になってしまうかもしれない。
アサエルは頑固であったために自分の命を犠牲にした
だけでなく、その後何年にもわたってダビデ軍の内部に
不幸な亀裂をもたらした (3:26、27、Ⅰ列王2:28-35)。
目標達成を決断する前に、それが情熱を傾ける価値の
ある目標かどうか確かめよう。
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(雑感)
アサエルは ダビデ軍の大将軍ヨアブの弟の一人で、
しかも、その足は ”野のかもしかのように” 早かった、という。
ギブオンの戦いで、敵の大将軍アブネルをどこまでも追跡し
「右にも左にもそれることなく」 追いつめていくさまをみると
アサエルという青年が
いかに勇敢で、若く自信に満ち溢れているか 想像できる。
敵の大将軍アブネルは そんなアサエルに、二度警告した。
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アブネルは振り向いて言った。
「お前はアサエルだな。」
「そうだ」 と 彼は答えた。
「右か左にそれて若者の一人でも捕らえ、
身につけているものを奪ったらどうだ」 と アブネルは言ったが、
アサエルはアブネルを追って離れようとしなかった。
アブネルは重ねてアサエルに言った。
「追うのはやめてくれ。
お前を 地に打ち倒すわけにはいかない。
お前の兄、ヨアブに顔向けできないではないか。」
だが、アサエルは頑として離れなかった。
(サムエル記下2:20-23)
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警告を無視した アサエルは とうとう 命を落としてしまった。
アサエルとしては 「ここまで追い詰めた!」のだから、という
断念するには惜しい 一隅千歳のチャンスに、引くに引けない
気持ちもあったのかもしれない。 戦士なら当然です。
でも 結果的に それは
彼の 勢いにのった頑固さ が招いたものだと思われます。
アサエルは 野のかもしかのように足が速かった。
彼が走る姿はどんなに美しかったことだろう。
なんて、もったいないことだろう。
秀でた能力のある一人の若者が どういうことか
敵の大将軍の情けをかけた二度の警告を無視してしまった。
彼は自分を信じていたのだろうか。
大将軍を打ち取れると。
ヨアブの対応をみてみると、
彼は アブネルが発した戦いの 一時休止の申し出に
すぐに応答している。
「ヨアブは角笛を吹いた。
兵士は皆、イスラエル軍を追うことをやめ、
それ以上戦いを続けなかった。」(サムエル下2:28)
ヨアブとアサエルの違いが描かれている。
アブネルとヨアブという大将軍ならではの 駆け引きの妙を感じる。
引くべきところは引き、無だに命を消費しない。
当然なのかもしれない、多くの命を与かっている器なのだから。
それにしても
同じ民族同士殺し合うというのは 悲しい。
人はなぜ戦わなければいけないのだろう。
なぜ、戦い続けなければいけないのだろう。
本当の「平和」を勝ち取るまで 戦い続けるしかないのだろう。
それにしても、勇姿アサエルに学びました。
頑固さは 命とりになる 時もあると。
邁進するときと引くべきときをわきまえる知恵が必要です。
絶好調の時にあっても ”引ける” 勇気 が必要なのです。
ハレルヤ