箴言19:2・・・無知の不毛、知識のない熱心さ | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

箴言19:2 (新共同訳)

知識がなければ欲しても不毛だ。

あまり足を急がせると過ちを犯す。

 

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BibleNaviより

P578

私たちはよく、人生の中で急いで行動し、未知に向かっ

てまっしぐらに突き進む。ある人たちは、相手を真に知ろ

うとしないままで結婚してしまう。またある人たちは、結果

について考えずに不正な性的関係を持ったり、薬物に手

を出したりする。ある人たちは、自分がその系列の仕事

に適しているかどうか見極めずに仕事に飛びつく。

 

知識のない熱心さは良くないし、悪い状況を良くもしな

い。未知に飛び込んではならない。

 

第一歩を踏み出す前に、あなたがどんな中へ入ろうとし

ているのか、どこへ向かっていきたいのかを理解しよう。

将来起こるすべてを知ることはできないが、下調べをし、

正しい質問をし、神に従っているかどうかを確かめよう。

 

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未知に飛び込んではならない」とあります。

 

無知なる欲望と無謀さで突き進んだ己の若かりし頃をふり返ります。

”行動”の”結果”など、予想だにできません。する余裕がないのです。

”結果”をもって学ぶとしても、取返しのつかないこともあるのです。

”霊性”の喪失、という驚愕の事実が待ち受けていたことは、あまりにも

も大きな代償でした。”愚かさ”と”浅はか”さを友とした結果です。

 

されど、信仰の父アブラハムさんは、

未知に飛び込んでいった数少ない方だと思います。

ただ、アブラハムさんの場合、神の御声を聞き分け、

微塵も疑うことなく、その命令に従いつづけました。

いちいち理由も問いません。

究極は、ひとり子イサクを生贄としてささげよ、という神の命令に

有無を言わず従ったことでした。 本当に凄いことです。

神の善意と好意とその力を疑わない心。

 

ある意味、「信仰」は「未知に飛び込む」ことでもあると思います。

180度の転換を余儀なくされることもありましょう。

これまで積み上げてきたものを躊躇なく捨てて、

「はい」と一言で 従ってみることができるか、どうか。

ただ、神に従うという行動の根底には、あきらかに

「知識」が必要であることも学びます。「神」に対する「知識」。

そして、「知恵」は神との密接な関わりの中で生まれていくのでしょう。

神の御心を学ぶ、知る、そして実践する。

 

「行け」と示されたら、そう確信したなら、「行く」。

「止まれ」と示されたら、そう確信したのなら、「止まる」。

「断て」と言われたら、そう確信したのなら、「断つ」。

 

自分勝手な思いを神の御心だと勘違いしないように、

十分に自己の内を吟味する必要があるのでしょう。

これは、凡人にはとても難しいことのように思われます。

それでも、内面から込み上がってくるものに、

素直に向き合えってみればよいのだと思います。

考えすぎて動けないより、動いた方がよいような気もします。

その判断の材料を豊富に持つことで、不必要な失敗を避けることが

できるのでしょう。 正しい「知識」をより多く持てるようにと願います。

 

”知識のない熱心さ”の危うさを思いました。

「聖書」の言葉の一つ一つに霊感を得ますように。

 

ハレルヤ