申命記23:24・・・主の憐れみ | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

申命記23:24-25 (新改訳2017)

隣人のぶどう畑に入ったとき、

あなたは思う存分、

満ち足りるまでぶどうを食べてもよいが、

あなたのかごに入れてはならない。

 

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(デボーショナル聖書注解P167より《23:24/23:25、26の解説》)

この命令は、他の人の所有物にあずかる際の、身勝手な態度を戒め

るものである。これは、飢える人がいないようにするための規則であるが、だからといって、隣人を利己的に利用してもよいということでは

ない。イエスと弟子たちが麦の穂を摘んで食べたことをパリサイ人が

非難したとき、彼らがこの命令を適切に解釈していなかったことが

明らかになった。(マタイ12:1-2)

 

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(雑感)

久しぶりに「新改訳2017」聖書を手にとってみた。

一番に開かれた箇所が、この箇所、申命記23章だった。

章の最後のくだり23-24が、非常に気になった。

そして、ある過去の1シーンを思い浮かべた。

 

ある人を伴って ある方の家にうかがった。

種々のお茶や飲み物と、茶菓子を頂きながら、

数時間の談笑を楽しんだのでした。

そろそろおいとまいたしましょう、と腰をあげた時、

同伴の方が、卓に残っているお茶菓子を むんずっ・・と

一握りしだしました・・。(゜o゜)!

びっくりした私は、その方の握った手の甲を軽くおさえ、

首を横にふりました。

 

幸い、家の御主人は席をはずしていたのでした。

 

同伴の方も 実は クリスチャン・・。

「福音」を語れればと、ともに訪問したのでした。

ぼけー汗・・・。

 

わたしは、未だに そのシーンが忘れられず・・、

信仰的にはとても尊敬していた方だったのですが、

「あぁ、こういうところが あったのだなぁ・・・」と、

人間は誰も「完璧」ではないのだと、今更のごとく

感じ入ったのでした・・・。

 

この行いの「良し悪し」は、人によって違うのでしょうか。

少なくともわたしには、常識はずれのように思えたのです・・。

「好意」を受けてもなお、さらに「貪り」とるように思えたのでした。

 

隣人のぶどう畑に入ったとき、

あなたは思う存分、

満ち足りるまでぶどうを食べてもよいが、

あなたのかごに入れてはならない。”

 

まさに、本当に、そうだな、と、思えたのでした・・。

 

聖書の神の「品性」が すでに ここに示されています。

教えてくださっていたのです。

ハレルヤ 感謝です。

 

その後、その方に 私が思い感じたこのことを正直に話しました。

すると、素直に受け止めてくださいました。

怒ることもなく、恥じることもなく、聞いてくださいましたから、

感謝でした・・。

 

戦後、親を失って、極貧の中を生き延びてきた、その方。

どのように生き延びてきたか、垣間見るようでした。

イエスさまへの信仰は 並外れている、その方。

それにしても、人間って、

ひとつやひとつ、妙な「癖」があるものなんです、よね。

それも、イエスさまはよくご存じで、

私達とおつきあいくださっているのだと

主の憐れみに 感謝する次第です・・・。

 

ハレルヤ