詩篇37:1・・・いら立つな。うらやむな。 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

詩篇37:1、7(新共同訳)

 

1)悪事を謀る者のことで いら立つな

  不正を行う者を うらやむな

 

7)沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ

  繁栄の道を行く者や

  悪だくみをする者のことで いら立つな

 

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(デボーショナル聖書注解より:37-1解説)

悪人の中の何名かが非常に有名になったり

富んだりしても、彼らをうらやましがってはならない。

彼らがどんなに多くを所有しようとも、

それはしおれて枯れる草のようにいずれ消え、

なくなってしまうのだ。

 

神に従う者たちは

悪人とは違った生き方をし、

最終的には 天で宝を得る

未信者が地上で得るものは、

生きている間は残るかもしれないが、

あなたが神に従うことによって得るものは

永遠に残る

 

(37:5~7解説)

私たち自身を主に「ゆだねる」とは

私たちの人生、家族、仕事、所有物のすべて

主の支配と導きに任せることである。

私たち自身を主に ゆだねる とは

主を信頼し (37:5)、

私たち以上に私たちのことを考えてくださる

と信じること を意味する。

私たちは進んで、

主が私たちにとって最善をなしてくださる のを

忍耐強く待つべきである。(37:7)

 

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「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。」

 

「待ち焦がれる」気持ち。

初恋の時に抱いたあの初々しくも

甘酸っぱく、ほろ苦い感覚が ふとよぎってしまった。

(#⌒∇⌒#)ゞ

 

「待ち焦がれる」。

 

初恋は、

時に失望となってかえってきた。

 

されど、われらの「待ち焦がれる」神は、

いつでもどんな時でも、

「私たちにとって最善」をなしてくださり、

「私たち以上に私たちのことを考えてださる」

のであれば、

 

様々な「苛立ち」も「うらやみ」も捨てきって

ただ ひたすらに 

わたしの「神」のしてくださることを 

待ち望もう。

 

と、そう思う。

 

尊き主イエス・キリストの御名を崇め

今日も感謝いたします。

アァメン ハレルヤ