出エジプト記20章1~6節 (新改訳2017)
それから神は次のすべてのことばを告げられた。
「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した
あなたの神、主である。
あなたは、わたし以外に、ほかの神があってはならない。
あなたは 自分のために偶像を造ってはならない。
上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、
地の下の水の中にあるものでも、いかなる形を造ってはならない。
それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。
わたしを憎む者に 父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、
恵みを千代にまで施すからである。
(アァメン)
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(デボーショナル聖書注解1~6節解説引用します)
神の新しい国のために、なぜ10のことば(十戒)が必要だったのか。
シナイ山のふもとで、神は御自分の民に
神の律法の持つ 真理の働きと美しさ を表された。
その戒めは イスラエルを実践的な聖なる人生へと導くべく
制定された。
律法において、人は神の性質を見ることができ、
どのように生きるべきか
ということに関する神の計画を知ることができた。
その命令と細則は、神の共同体が愛と責任をもって
個々人の必要にこたえる方法を示している。
しかし、イエスの時代まで、ほとんどの人は、
律法を間違った仕方で見るようになってしまった。
彼らは、神の律法とは、
この世や次の世で繁栄するためのものだと考えた。
そして、すべての律法に従うことで神の守りを獲得することができ、
他国からの侵入や災害から守られる、と考えるようになった。
律法を守ること自体が目的となり、
神の究極の愛の律法を守る手段としての意味 が
忘れられてしまった。
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(20:1~6解説)
イスラエル人は、偶像があふれ、多くの神々のいる地であるエジプトか
ら出てきたばかりだった。エジプトでは 生活のさまざまな領域にそれぞ
れ神々が存在したので、できるだけ多くの祝福を得るために多くの
神々を礼拝することが普通だった。
神が民に、神を礼拝し信じるように伝えたとき、人々にとって、それは
難しいことではなかった。もう1人の神をリストに加えればよいだけのこ
とだからである。しかし、神が次のように言われたときは、違っていた。
「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」
これは、人々にとって受け入れにくいことだった。
もし民が、エジプトから彼らを導き出した神が
唯一の真実の神であることを学んでいなければ、
どれだけ忠実に残りの9の戒めを守ったとしても、
神の民になることはできない。
かくして、神は この最初の戒めを定められたのだ。
現代の私たちは、お金、名声、仕事など、さまざまなものに神々となる
ことを許している。神が人生の中心にあるようにし、神々に目を向ける
ことがないようにしよう。
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(新聖書辞典P989より)
さて、第1のことばは、
主なる神のほかに、ほかの神は一つとしてイスラエル人にはあっては
ならない、ということである。主なる神とイスラエル人との間には、ほか
のいかなるものも入ることのできない、密接な、排他的な関係が結ば
れているのである。
第2のことば。
礼拝の対象としての像を造ることの禁止である。
それは、目に見えない主なる神を具体的な形で現すことも含めて、
いっさいの被造物を礼拝の対象とすることを禁じる。
創造主は、被造物の中に制限されることはないのである。
礼拝の対象外の宗教的芸術は、後のイスラエルの歴史において
認められる。(Ⅰ列6:23-29、7:25、29等)
この命令を守る者には、契約の恵みが、永遠に続く。(申7:9)
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十のことばは、契約の具体的な規定が与えられるための序文であり、
導入の働きをしていると共に、神の民としての特別な身分に入るため
の条件を明示するものとして、契約の本質でもある。
選びの民としてのイスラエルは、主である神に対していかにあるべき
か、神の民としてのイスラエルは、同胞に対し、人類に対し、どうある
べきかという基本原理が神から提示され、宣言される。
十のことばは、神との契約の根底にある基本的原理であり、
祭儀的な規定が積極的に表現されていないからと言って、
それを否定しているわけではない。
全包括的見出し、というよりは、一般的、普遍的、要約的見出しの部分
であると言うことができる。
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あらためて、思いました。
数千年も昔、
神の人類大救済計画の中で、選ばれたイスラエル民族。
ユダヤの民に負わされた責務のなんと尊く、重いことだろうと。
彼らの、全人類に対して果たすべき「役割」を思う。アブラハムの民。
アブラハムに約束された「祝福」に、われらも共に与かることができる。
ただ一人の人、
「アブラハム」の信仰のゆえにもたらされた「神の祝福と約束」。
「モーセ」によって与えられた「律法」の役割。
過酷なイスラエル人の歴史。
しかしながら、人類の歴史は、その「過酷」さの中を浮き沈み、
ある民族は消滅し、国々の名も消えていく。
されど、イスラエル民族は生き残り続け、その国の名もまた興される。
神から選ばれた者の、”永遠に生きる”とは、
現実に繰り広げられている「イスラエルの民」を見ても 明らか。
2000年前に、
イエス様がなさった「業」を信じる我らに与えられている「約束」。
神との平和を得、神が最初に与えてくださっていたその「祝福」の道を
歩むことができる者とされていますから、感謝です。
主イエス・キリストの御名を崇め讃美致します。アァメン ハレルヤ