サムエル記上31章1~7節
〔新共同訳〕
【ギルボア山での戦闘】(1)
1ペリシテ軍はイスラエルと戦い、イスラエル兵はペリシテ軍の前から逃げ去り、傷ついた兵士たちがギルボア山上で倒れた。
2ペリシテ軍はサウルとその息子たちに迫り、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを討った。
3サウルに対する攻撃も激しくなり、射手たちがサウルを見つけ、サウルは彼らによって深手を負った。
4サウルは彼の武器を持つ従卒に命じた。
「お前の剣を抜き、わたしを刺し殺してくれ。あの無割礼の者どもに襲われて刺し殺され、なぶりものにされたくない。」だが、従卒は非常に恐れ、そうすることができなかったので、サウルは剣を取り、その上に倒れ伏した。
5従卒はサウルが死んだのを見ると、自分も剣の上に倒れ伏してサウルと共に死んだ。
6この同じ日に、サウルとその三人の息子、従卒、更に彼の兵は皆死んだ。
7谷の向こう側と、ヨルダンの向こう側のイスラエル人は、イスラエル兵が逃げ、サウルとその息子たちが死んだのを見ると、町をことごとく捨てて逃げ去ったので、ペリシテ軍が来てそこにとどまった。
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(聖句雑感)
悲しい結末に思います。
サウル王様の最期。
そして、その子ヨナタンの最期。
ハーベストタイムさんの動画を貼付させて頂きました。
「ギルボア山」と「ダビデの哀歌」。
約3千年の時を経てなお人々の心に語りかける。
一種「永遠」とは、
このようなものなのかな、とも思いました。
「戦い」に明け暮れる「男」たち。
「エデンの園」からは程遠い世界です。
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解説を見てみました。
■新実用聖書注解466p
サウルの生涯は悲劇的である。その出発が素晴らしかっただけに、なおさらである。小さな不従順も、積み重なると命取りになる。あわれみ深い主も、最後にはさばきを執行される。この章は、サウルの一生の悲しい幕切れを記す。
話はペリシテ人とイスラエル人との戦争に戻り(参照29:11)、イスラエルの手痛い敗北が描き出される(1)。
サウルの息子4人のうち、イシュ・ボシェテ(エシュバアル)を除き、3人が共に戦死する(2,参照Ⅱサム2:8,Ⅰ歴8:33)。サウルは、ペリシテの集中攻撃を受け、致命傷を負わされたので、敵の凌辱を受けるよりはと思い、道具持ちの部下の手で殺されることを望むが、部下は恐れの余り手を下すことが出来ない。
それで、ついにサウルは剣の上に倒れ伏して自殺する(3-4)。道具持ちの部下も同様にして主君の後を追った(5)。
イズレエルの谷の北側にいたイスラエル人も、ヨルダン川の東側にいたイスラエル人も、戦いの結末を知って逃走し、その後をペリシテ人が占領し、そこに住むようになった(7)。イスラエルの完敗であった。
■BIBLEnavi270-271p
ペリシテ人は捕虜に拷問を加えることで知られていた。サウルがサムソンの最期(士師記16:18-31)について知っており、身体の一部を切り落とされるなどの虐待を望まなかったことは疑う余地がない。サウルの道具持ちが彼を殺すことを拒んだとき、彼は自害した。
サウルは背が高く、ハンサムかつ強健、裕福で権力を持っていた。しかしこれらすべてにもかかわらず、私たちが手本とするべき人物とはならなかった。
彼は偉丈夫だったが、神の御目には小さかった。
彼はハンサムだったが、その罪によって醜くなった。
彼は強健だったが、信仰がないため弱くなった。
彼は裕福だったが、霊的には破たんしていた。
彼は多くの人間に命令を出せたが、
彼らの尊敬や忠誠を手にすることはできなかった。
サウルは外見は良く見えたが、内側は朽ちていた。
神との正しい関係と、強い人格は、
外見の良さよりもはるかに価値がある。
サウルは生きてきたように死んでいった。
神について考えたり神の導きを求めたりすることなく、自分の手で事を始末した。
もしも私たちの生き方が今、望んでいるものと違っているなら、後になってそれが簡単に変えられるなどとは考えられない。
死が迫ってくるとき、これまでずっとしてきたとおりの方法で神に応えることになるだろう。
死と直面するとき、自分が「本当は」どんな人間かを初めて知ることになる。
あなたはどのような死に方をしたいだろうか。今すぐ、そのような生き方を始めることだ。
サウルの道具持ちは倫理的なジレンマに直面した。彼は主人である王の命令に従わなければならないと知っていたが、殺人もまた正しくないことを知っていた。彼はサウルを殺さないことにしたのだ。
あなたが賛成しない命令に従うことと、間違っているとわかっている命令に従うことは違う。
誰からの命令で、従わなかった結果がどうなるかにかかわらず、間違った行動をすることは決して正しくも倫理的でもない。
倫理的なジレンマに直面したとき、あなたはどうするだろうか。
人間の命令よりも神のおきてに従う勇気を持とう。
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■clay解説全文
サウルの死
狙い撃ち
ペリシテ人とイスラエル人との戦いが始まります。結果は、イスラエル人の大敗でした。
(1)イスラエルの軍勢は敵の前から退却し、ギルボア山に逃げ込みますが、そこで大勢の者が刺し殺されます。
(2)ペリシテ人たちは、特にサウルとその息子たちを狙い撃ちにしました。
(3)サウルの息子4人のうち、イシュ・ボシェテ(エシュバアル)は戦争に参加していませんでしたので助かりましたが、残りの3人(ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュア)は、全員戦死しました。
(4)サウルは、ペリシテ軍の射手たちから集中攻撃を受け、重傷を負わされます。このままでは、敵になぶり殺しにされる恐れがあります。そこで彼は、道具持ちの部下に殺してくれるように命じます。
(5)ところがその道具持ちは、恐れのあまり手を下すことができませんでした。
(6)そこでサウルは、道具持ちが持っていた剣を取り、その上に倒れ伏して自殺します。
(7)サウルが死んだのを見届けた道具持ちも、主君のあとを追って自害します。
道具持ちがサウルを殺すのを恐れたのは、正常な感覚です。
私たち日本人には、サウルが自害したことを容認する傾向があると思います。その死を名誉ある最期と称える人もいるかもしれません。
しかし覚えておきたいのは、これは自殺行為だということです。
いかなる場合でも、自殺を美化するようなことがあってはなりません。
イスラエル人の逃走
この日の戦いは、完敗でした。その様子を見て、イズレエルの谷の北側にいたイスラエル人も、ヨルダン川の東側にいたイスラエル人も、ともに町々を捨てて逃走しました。その後にペリシテ人がやって来て、そこに住むようになりました。
イスラエルの人々が築いてきた町々が、敵の手に渡ったのです。
この章で、サウルの生涯は幕を閉じます。
サウルの生涯から教訓を学びましょう。
彼は、最初はすばらしいスタートを切りました。しかし、小さな不従順を積み重ね、最後は、主に反抗することが彼の習慣になっていました。
彼は、自分で蒔いた種の刈り取りをしたのです。
天の父は、私たちがこのような最期を迎えることを望んではおられません。
今、熱心に悔い改め、主に立ち返りましょう。
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きょうの祈り
天の父なる神さま。今という時に、あなたに立ち返ることができますように。どうか私を悲惨な最期から助け出してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
列王記第一21~22、箴言23
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2024年7月23日(火)☀30℃
我が家への「蝉」の侵入。
なぜこんなところに蝉が??
と思う暇なく、
猫ちゃんに捕まってしまう「蝉」たち。
地上での最期の瞬間の「蝉」、
静かにいかせてゆきたい気もするも、
猫ちゃんの本能はそれを許さないようです。
虫をつかまえてくれる猫ちゃんは
私にとって時に頼もしい存在。
されど、
「蝉」ちゃんにはさすがに
哀愁すら感じてしまいます…。
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今回の箇所は、下書きのまま
かなりほおっておいたようです。
もう一度読み直しました。
「小さな不従順」の繰返し。
この種蒔きは「不幸」の実を刈り取る、
のですね…。
「死にざま」と「生きざま」は同じ。
厳しいお言葉であります。
今回のお勧め
「あなたはどのような死に方をしたいだろうか。今すぐ、そのような生き方を始めることだ。」
心に響きます…。
尊き主イエスの御名によりて
感謝いたします。
常に喜び絶えず祈り
凡てのこと感謝できますように。
ハレルヤ