サムエル記上30章21~31節
〔新共同訳〕
【アマレク人に対するダビデの出撃】(4)
21やがて、疲労のためダビデに従うことができず、ベソル川にとどまっていた二百人の兵のもとに戻って来ると、彼らはダビデとダビデに従った兵士たちを迎えに出て来た。ダビデはこの兵士たちに近づくと、彼らの安否を尋ねた。
22ダビデに従って行った者の中には、悪意を持つならず者がいて、言った。
「彼らは我々と共に行かなかったのだ。我々が取り戻した戦利品を与える必要はない。ただ妻と子供を受け取り、連れて行くがよい。」
23しかし、ダビデは言った。
「兄弟たちよ、主が与えてくださったものをそのようにしてはいけない。
我々を守ってくださったのは主であり、襲って来たあの略奪隊を我々の手に渡されたのは主なのだ。
24誰がこのことについてあなたたちに同意するだろう。荷物のそばにとどまっていた者の取り分は、戦いに出て行った者の取り分と同じでなければならない。皆、同じように分け合うのだ。」
25この日から、これがイスラエルの掟、慣例とされ、今日に至っている。
26ダビデはツィクラグに帰ると、友人であるユダの長老たちに戦利品の中から贈り物をして、「これがあなたたちへの贈り物です。主の敵からの戦利品の一部です」と言った。
27その送り先は、ベテル、ラモト・ネゲブ、ヤティル、 28アロエル、シフモト、エシュテモア、 29ラカル、エラフメエル人の町々、カイン人の町々、 30ホルマ、ボル・アシャン、アタク、 31ヘブロン、そして、ダビデとその兵がかつてさまよい歩いたすべての所の長老たちである。
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(聖句雑感)
ダビデさん、やっぱり「違う」なぁ、
と思いました。
彼の「目」は常に「主の視点」を忘れない。
新約聖書にも
「主イエスの心を心とせよ」とありました。
「主が与えてくださったもの」
「我々を守ってくださったのは主」
「敵を我々の手に渡されたのは主」
「とどまった者と戦いに出た者の取り分は同じ」
「皆、同じように分けあうのだ」
ヘタをすれば、戦場で死ぬことになるかもしれない。
戦場に出た者の言い分、
とどまった者にはないリスクを負う者の言い分。
彼らに戦利品を分け与える必要などない!
これって、よくわかる気がします。
(働かざる者食うべからず、ともいいますしね!)
でも、ダビデさんは違ったんですね。
このようなリーダーのもとにいる人たちはなんと幸いだろう。
単純にそんなこと思いました。
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解説を見てみました。
■新実用聖書注解466p
ダビデの部下といっても、もともと立派な人々の集まりではなかった(参照 22:2)。彼らはともすると反逆心を募らせ(6)、また、すぐに利己的になったり、冷ややかになる者たちも混じっていた(22)。
しかし、分捕り物の分け前でいさかいが起こりそうになった時、ダビデは厳としてリーダーシップを発揮し、戦いに参加した者もとどまった者も、公平な分配を受けるように命じた。分捕り物を取り戻せたことも、それに多大の追加があったことも、すべて神の恵みによることを痛感していたからである(23-24)。
こうして、このような「恵みの法則」が、長くこの国の法則となった(25)。
大量の分捕り物を、自分で「独り占め」することなく、ダビデはこれを、これまで逃避行の放浪中に世話になった町々に、《主の敵》アマレクに対する戦勝報告と共に、「おすそ分け」として分配して回った(26)。恐らく、この町々の内の幾つかは、今回のアマレク人による略奪の被害を受けていたはずである(H・M・ウオルフ)。それで、ことのほかこの贈り物を喜んだことだろう。
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■clay解説全文
イスラエルの新しいおきて
公平な分配
戦後処理をどうするかは、いつでも大問題です。その中の一つに、褒賞をどうするかという問題があります。
(1)ダビデの部下の中には、「よこしまな者たち」も混じっていました。彼らは犯罪歴を持った者たちで、処罰をまぬがれるためにダビデのもとに集まって来た人々です。
(2)その彼らが、ベソル川にとどまった200人に対して意地の悪いことを言いました。「彼らはいっしょに行かなかったのだから、われわれが取り戻した分捕り物を、彼らに分けてやるわけにはいかない。ただ、めいめい自分の妻と子どもを連れて行くがよい」。
つまり、家族は取り戻してもいいが、持ち物に関しては自分の物であっても取り戻せないということです。これでは、その200人は生活ができなくなります。
(3)それに対してダビデは、戦いに参加した者もとどまった者も、公平な分配を受けることができるようにとの指示を出しました。
その理由は、すべて神の恵みによって成ったことだからです。
ダビデがこのときに打ち立てた「恵みの法則」は、その後長く、イスラエルの「おきて」となり、「定め」となりました。
この原則は、新約時代にもあてはまります。
戦いに参加する者とは、実際の宣教地に出て行く宣教師や牧師たちです。
とどまる者とは、その背後で祈りと献金によって伝道活動を支えるクリスチャンたちです。
「恵みの法則」を適用すれば、天国において主から受ける褒賞は、両者全く同じだということです。
あなたは、そのことを知って、熱心に伝道活動を支えていますか。
贈り物
次にダビデの器の大きさを示す出来事が起こります。
(1)彼は、大量の分捕り物(家畜の群)を独占することなく、これまでの逃避行の最中に世話になった町々に配っています。しかも、「主の敵からの分捕り物の一部です」と声をかけて贈っています。これらの町々の中には、アマレク人の略奪によって被害を受けていたところもあったはずです。
(2)主イエスは恵み深いお方です。主イエスの弟子になろうとする者は、感謝の心を忘れず、また隣人に対して恵み深くあるべきです。
あなたは、ダビデの気前良い態度から、何を学びますか。
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きょうの祈り
天の父なる神さま。あなたのあわれみと、赦しとを感謝します。今あなたに信頼を置きます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
列王記第一19~20、詩篇43~44
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2024年7月13日(土)☀29℃
よいお天気です。
感謝です。
蝉の鳴き声が響き渡ります。
彼らの合唱の勢いに乗って
真っ盛りの夏がやってくる感じがします。
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「恵みの法則」
「公平な分配」
「ダビデの気前の良さ」
今回の箇所からも学ぶところ満載でした。
主イエス・キリストの御名によって
感謝いたします。
ハレルヤ