『機動戦士ガンダム 水星の魔女』を全話視聴した。私がつわりで日に5回は吐いていたときにスタートし、新生児を抱えてオロオロしていた時期に終了したガンダムである。上記の理由により話題になっているのは知っていたが、観ること叶わず今に至っていたが、夫が「アマプラ」なる魔法を使い全話イッキ見することになった。

 『水星の魔女』は主人公もヒロインも女子、そして二人は婚約者である。水星生まれの主人公のスレッタ・マーキュリーは自身が同性のフィアンセになったことに驚き慌てるのだが、ヒロインのミオリネ・レンブランは、水星って遅れてるのねと一蹴する。これが令和である。水星も日本も遅れている。そしてやはりこれはガンダムである。どんどん雲行きが怪しくなり最後の最後まで全員に死亡フラグが立って見えた。『ガンダムW』ならば、キャラクターたちの強靭な肉体を前に死亡フラグは次々と折れていくため、割と安心して見ていられるのだが『水星の魔女』の人体はそこまで硬くなかった。尊い命が奪われていった。やはりガンダム。人は愚か。戦争はいけない。そしてストーリーがイマイチわからない。

 ストーリーがよく把握できない現象は、私の場合基本的に全てのガンダム作品で起きる。その理由の一つは「用語」である。ガンダムではホワイトベースが木馬と呼ばれ、アークエンジェルが足つきと呼ばれ、五飛は自分のガンダムをナタクと呼ぶ。このように一つの物に二つの呼称があったり、何の説明もなくザフトやらラプラスの箱やら言われたり、何の話をしているのか初見の私には理解できないのである。『水星の魔女』では強化人士のみはニュータイプとかコーディネーター的な奴か?と予想できたが、他の言葉は何のことかわからなかった。それならググれよ、と思われるだろうが乳児を抱えているとググる気力もわかなかったりするのだ。

 しかし、ストーリーが把握できなかったからつまらなかったかと言うとそうではない。面白かった。これもガンダムあるあるだが、詳しい話はよくわからないが誰がズルをしたとか誰が怒っているとか誰が騙されたとかは何となくわかるからだ。つまり、ストーリーはわからないが快・不快はわかるのである。そしてもう一つ、制服のデザインが秀逸であった。

 『水星の魔女』は初めは学園モノとして始まるため全員制服姿なのだが、制服が性別問わず一種類というのが令和である。そして基本的に全員半ズボン(一部のキャラはもう少し短いズボンを履いたり、長めのズボンを履いたりしている)というのも良かった。まず、半ズボンだと性別問わず性的な感じがしない。かつては白拍子の男装がセクシーだったとか、動きやすいから採用されたセーラー服がコスプレ衣装扱いされたり時代によって服装の持つイメージは変化するが、今のところ半ズボンに性的なイメージは無い。そして、半ズボンを履くことによる「ギャップ」に「ほう……」となった。エランさんのような美少年キャラの半ズボンギャップはほぼ無いのだが、グエル・ジェタークのような俺様キャラの半ズボンギャップは大きい。ローファーを履いてそうなキャラが運動靴を履いていたり、ブレザー着てそうなキャラが学ランを着ていたりするような意外性を楽しむことができた。色男キャラであるシャディク・ゼネリにも半ズボンを履いていてほしかったが、なぜか彼は作務衣のようなズボンを履いていた。これは私の中ではギャップではなく「謎・不思議」としてカテゴライズされた。

 ところで、作中屈指の美少年キャラであるエランさんだが、『水星の魔女』を観終わる前に彼に関するネタバレを一つ食らった。「エラン・ケレスは最後まで生き残る」というネタバレである。ネタバレが大嫌いで『進撃の巨人』最終回前にはネット断ちをしていた私だが、このネタバレは許した。何故なら、このネタバレが何を意味するのかわからなかったからである。最後まで観て、そういう意味か、と把握した。エランさんはスキップガエル先生の声で喋るのに激重な闇を背負っているという点が「ギャップ」であった。