今日の話は、まあ、信じなくてもいい。
でも、下の記事で、
ヘミシンクの体験を話して欲しい!というコメントがあって、
でもそれを僕がぜったいにしないワケを、
ちょっと話してみようかな、と思う。
細かく説明しても理解できないと思うので、ざっくり書いてみます。
この世界は、
それぞれの人が、自分の夢にお互いを引き込みあう世界だ。
夢というのは、その人にとっては現実。
つまり、
「この世界はこんな風だよ。」
「これはこうなんだよ。」
とある人が信じている世界に、他人をどれだけ引き込むか、という世界です。
ある人が、「お金が何より大事」という「資本主義」という世界をつくった。
ある人が、「個人が何より大事」という「個人主義」という世界をつくった。
そして、たくさんの人を引き込んでいった。
そして、たくさんの人にとって、世界はそういう風にしかみれなくなってしまった。
体験というのは、所詮は夢だ。
客観性なんていうものはそこにはない。
どんなにステキな体験であっても、それはあくまで個人だけのもの。
体験を人に話す、ということは、
他人を自分の世界に引きずり込む、ということ。
もちろん、話したから引きずりこめるワケではない。
そこには、たくさんの技術や方法があるのだが、
スピリチュアルな話というのは、とくに迷った人を引きずりこみやすい。
宗教にハマる人が多いのはそのせい。
もちろん、大手の宗教団体は、その方法論をわかってつかっている。
これは、非言語的なアプローチによる「洗脳」テクニックであり、
「大衆操作」の方法だ。
だから、自分の体験に他人を引きずり込むことにあまり価値がないのなら、
体験を人に話す必要はない。
自分がなんとなく話したつもりのことが、他人を「自分自身」から引きはがし、迷わせる。
他人の世界に引きずり込まれた人は、その世界の主である人の「夢」が(自分のフィルターを通して)見えるようになる。
実際に、「現実」として見えるようになる。
スピリチュアルな世界(に本当は限らず)にハマると、
みんなが、さも同じことを見たようなこと言い出すのはそのせい。
でも、それぞれの人をバラバラにして、話をきくと、
本当は同じものを見、体験したのではないことは明らかなんだ。
これがややこしいことに、
はじめは個人が引きずり込んだ夢の主であった人が、
その人がから独立した「主」に支配されるようになる。
宗教団体がだんだんおかしくなるのは、そのせい。
それははじめのたった一言からはじまる。
この話を読むと、
「だから何?」
と思う人も多いかもしれない。
でも、あなたも誰かの創り出した「夢」=「現実」に取り込まれている。
僕も気づいていないところで、たくさん取り込まれている。
それが、この世界の構造・・・
そうして、他人をお互いの「占有空間」に引き込み合いながら、人は生きている。
あなたが他人の意識空間に取り込まれたくないのなら、
「外」のものに惑われず、自分自信を見つめてみよう。
深い深い、この世界のお話。
この話もまた、所詮は僕の「夢」なのかもしれない。
でも、下の記事で、
ヘミシンクの体験を話して欲しい!というコメントがあって、
でもそれを僕がぜったいにしないワケを、
ちょっと話してみようかな、と思う。
細かく説明しても理解できないと思うので、ざっくり書いてみます。
この世界は、
それぞれの人が、自分の夢にお互いを引き込みあう世界だ。
夢というのは、その人にとっては現実。
つまり、
「この世界はこんな風だよ。」
「これはこうなんだよ。」
とある人が信じている世界に、他人をどれだけ引き込むか、という世界です。
ある人が、「お金が何より大事」という「資本主義」という世界をつくった。
ある人が、「個人が何より大事」という「個人主義」という世界をつくった。
そして、たくさんの人を引き込んでいった。
そして、たくさんの人にとって、世界はそういう風にしかみれなくなってしまった。
体験というのは、所詮は夢だ。
客観性なんていうものはそこにはない。
どんなにステキな体験であっても、それはあくまで個人だけのもの。
体験を人に話す、ということは、
他人を自分の世界に引きずり込む、ということ。
もちろん、話したから引きずりこめるワケではない。
そこには、たくさんの技術や方法があるのだが、
スピリチュアルな話というのは、とくに迷った人を引きずりこみやすい。
宗教にハマる人が多いのはそのせい。
もちろん、大手の宗教団体は、その方法論をわかってつかっている。
これは、非言語的なアプローチによる「洗脳」テクニックであり、
「大衆操作」の方法だ。
だから、自分の体験に他人を引きずり込むことにあまり価値がないのなら、
体験を人に話す必要はない。
自分がなんとなく話したつもりのことが、他人を「自分自身」から引きはがし、迷わせる。
他人の世界に引きずり込まれた人は、その世界の主である人の「夢」が(自分のフィルターを通して)見えるようになる。
実際に、「現実」として見えるようになる。
スピリチュアルな世界(に本当は限らず)にハマると、
みんなが、さも同じことを見たようなこと言い出すのはそのせい。
でも、それぞれの人をバラバラにして、話をきくと、
本当は同じものを見、体験したのではないことは明らかなんだ。
これがややこしいことに、
はじめは個人が引きずり込んだ夢の主であった人が、
その人がから独立した「主」に支配されるようになる。
宗教団体がだんだんおかしくなるのは、そのせい。
それははじめのたった一言からはじまる。
この話を読むと、
「だから何?」
と思う人も多いかもしれない。
でも、あなたも誰かの創り出した「夢」=「現実」に取り込まれている。
僕も気づいていないところで、たくさん取り込まれている。
それが、この世界の構造・・・
そうして、他人をお互いの「占有空間」に引き込み合いながら、人は生きている。
あなたが他人の意識空間に取り込まれたくないのなら、
「外」のものに惑われず、自分自信を見つめてみよう。
深い深い、この世界のお話。
この話もまた、所詮は僕の「夢」なのかもしれない。