韓国政府の竹島の強行的な占領などの、人の道に劣る行為をみていて、
日本もなにか「力」をもたないとやはりどうしようもない、
と考えていました。
といって、そこで「武力」を持てば「子供のケンカ」。
成熟した人間のやることではありませんし、
そもそも武力は技術的に「全人類を滅ぼせるレベル」という限界に来ているので、
(原発一つであれですから。)
いろいろな意味で限界に来ています。
では、日本はどういった「力」を持つべきなのでしょうか?
・・・人類の営みをみていると、
究極はやっぱり「心や人の扱い方」ということになります。
陰陽師や仏教などを研究するにつれ、
昔の日本人は、そういうことを非常に深く研究していたことがあきらかになります。
日本のそういった技術や知恵は、
第二次世界大戦のときに、
国の「内部」である「国民」に「戦いをさせるため」につかわれてしまっため、
「ご法度」となってしまいました。
でも、そのあとを継いでアメリカがやっている(もともとは日本の技術)ように、
「戦争を起こさない」ように相手国の心理を操る、
というあり方はあって良いのではないでしょうか。
たしかに「人の心を操る」ということは嫌な響きはありますが、
実際、催眠を勉強すると、
メディアから教育から、すべてのことは「人の心を操ること」だということが分かります。
それが現実なのですから、
現実からを目をそらさず、
むしろそれを「平和のため」に、積極的に研究し、使っていくべきでないでしょうか?
「平和の国・日本」がするべきことは、むしろそれしかないのではないか、
と思うのです。
一切の「力」を持たないで、相手がしかけて来たケンカをとめることは現実としてできません。
ガキ大将の尻尾を借りていても、
ガキ大将が弱ってしまう、またはガキ大将が相手に弱みを握られてしまえば、
ガキ大将が「有事」の際に守ってくれることはないでしょう。
「ドラえもん」が現実で、
のび太が、ジャイアンが喜ぶものをうまく与えられたときやジャイアンの弱みを握ったとき、
スネ夫はジャイアンに殴られたり、または守ってもらえなかったりするのです。
「ケンカ」をさけるためには、
やはり「ある種の力」が必要なのです。
そしてそれは、
私たちが実際に普段から暴力によるケンカをしないように、
「武力」である必要はない、
ということも私たちは気づく必要があります。
「社会で罰せられるから」という、
国際法を盾にした「抑止力」は、もはや通じない時代になりました。
第2次世界大戦からもはや60年以上過ぎ、
社会全体では「戦争はイヤなものだから、絶対にくい止めよう」という強い意識の場が失われているからです。
日本は、最悪のときに「やられたらやり返す」だけの武力はもっています。
(ただそれをやったら、すべてが泥ヌマ、一巻の終わりですが。)
だから、日本は「さらなる武力」ではなく、
もっと「人間関係力」や「相手を操る心理学」を、
いざという時に「発動」できるように国家的に培うことを私は提案します。
相手国の国民への「有事」にならないための情報操作や、
世界注のたくさんの人に日本を愛してもらうためのアピール。
そういうことをもっともっとやっていくのは、
一瞬の判断の間違いで人類全体を滅ぼすことがあり得る「核」を持つことに比べ、
どれほど人としてやってはいけないことでしょうか。
臨床的な心理学でさえも50年はアメリカより遅れている日本、
経済という「お金の力」もすっかり弱くなった日本、
交渉力もない日本、
そんなあらゆる「力」のない状態で、
どうやって日本という「個体」が生き残っていけるというのでしょうか。
自然の世界には、そんな存在はありえませんし、
あったとしても、たまたま地理的な幸運で生き残っているケースしかありません。
(でもそういう生物のほとんどは、「外」からの競合の侵入により、事実絶滅した、またはしつつあります。)
私たち日本人は、
妄想の世界で生きるのではなく、
もっと「自然」という現実をしっかり見て、
昔のように、人の知恵として高度で、かつ「平和をもたらす力」を取り戻していくべきだと思うのです。
私には、こういう話を日本の政府にもっていく力はありませんから、
もしそういうところに話を持っていくことができる方がいたら、
ぜひご協力ください。