僕らがふだん生活しているなかで、

当たり前におこなっている「洗う」という行為。




しかし、多くの人が、

この「洗う」という行為を誤解しているように思う。




「洗う」というのは、

ようするに

「害がない物質」で「害がある物質」を薄める

という行為以外の何物でもない。




絵の具を洗う、

ときがいちばん分かりやすいが、

絵の具の色(=害)がパレットの上で見えないくらいになるように、

水で流して薄める、

のである。




薄める物質は基本的に2つ分かれ、

水か油(水溶性か油溶性)

となる。




こう考える時、

私達があつかう「洗剤」という存在は極めて微妙な立場にある。

洗剤は、

薄める行いを「補助」する物質

ということになる。




つまりは、

ある物質(汚れ)を薄めるために

ある物質(洗剤)を加える、

という矛盾した行為になっている。




せっけんが良い、

界面活性剤が悪い、

という単純な議論をするつもりがないけど、

上のことをもうちょっと考えた方がいいと思う。




食品汚れ(=食べ物)を「洗う」ために、

食品にならないものを使う、

というのが「当たり前」

というのは、やっぱりおかしい、と思う。



なんか油が残っているとベタベタして気持ちが悪い、

というなら、

食べ物でない洗剤が残っていると気持ち悪い、

という考えも持って欲しい。




「薄める」ためには、

かなりの量の「薄める物質」が必要で、

かなり「すすぎ」をしないと、

洗剤だって落ちない。

(絵の具で試してください。カンタンにはキレイさっぱり流れてくれません。)




だったら、なるべく「ゼッタイに必要」と思わない限りは、

食器や衣類など、人体が接触するものには、

水(かお湯。)だけで洗いたい、

ですよね。




そういうことを理解できる

想像力や感性、

そういったものが、

未来をつくっていくんじゃないかな?

と思います。

「当たり前」に飲み込まれてしまわないように。


 - - 本日のオススメ本(今日はDVDですが・・・)- -
ウェイン・ダイアー博士は、個人的にとても好きな心理学者。
そのダイアー博士が、精神的なマスターのなかでも、これもわりと好きなエックハルトと対談をしている。
これはいいなあ、と思いまして。

アウルズ・エージェンシー (2013-08-16)
売り上げランキング: 322