セミナーを開催している人間として、
どうして「質問はありますか?」と聞いても、なかなか日本の人は手を挙げないのか・・・
ずっと気になっていました。
「日本人はシャイだから。」
とか
「聞きたいことがあっても、最初は難しいから」
とか、いろんな説がありましたが、
一昨日ふとしたことがあり、その理由が分かりました。
それは、
日本人は「議論」ができない
そして、
先生には逆らってはいけない
という2つの理由から成っていました。
僕は昔から、
何かを言うとすぐに嫌われたり、
「キマちゃんはすぐに反対する・・・」
とか言われて育ってきたわけですが、
僕的には「?」で、
なんでみんな「議論」ができないのだろう、
と思ってきたわけです。
まず、たとえば、ある人が、
「◯◯は☆☆なんです。」
といったとき、
「◯◯は、△△△ということじゃないんでしょうか?」
というと、
これは、日本では「批判」と受け取られます。
これがとくに、
「◯◯は☆☆なんです。」と言った人が、
「目上の人」「先生」なんかだと、
完全に嫌われます。
経験がある人、いっぱいいますでしょう?
でもこれができないなら、
授業や会議の場なんかで、質問がそんなに出るわけがないんです。
授業や会議、というのは、ある人がまずなにかを主張するわけですよ。
「◯◯は☆☆だ。」
というわけです。
で、
日本では、まずそれを「正しい」という前提で質問をしなければいけないのですが、
今まさに話されたばっかりの話について、理解して、さらに疑問を持つ、
なんてことが急にできるわけないんです。
そもそも「理解しているかどうか」が怪しい。
理解しているかどうかを確かめるためには、
「◯◯は、△△△ということじゃないんでしょうか?」
という質問が必要です。
そして、説明している人から、
「◯◯は、こうこうこういうことから、☆☆なんだよ。」
と言われて、はじめて納得できたりするわけです。
でも、日本ではこのプロセスが踏めない。
だから、授業や会議の場では、
「◯◯は☆☆だ。」と説明者が言っている文脈に沿って質問や意見をいわなければいけない、
という非常に「困難な場」ができあがってしまうのです。
で、
理解を間違って「カドが立つ」よりは黙っておこう
となります。
当たり前の話ですよね。
日本にこの「場」がある限り、
日本では発展性のある話はできません。
間違わなければ、理解なんてできるわけがない。
異なる想いや、異なる理解を、納得するまで説明してもらって、
はじめて「ああ、そういうことか」とか「ああ、そうなのか。」と思えるはずです。
たとえば、この記事について、
「いやいや、こういうことじゃないんですか?」
というコメントがもらえなければ、
僕は自分の気づきから「外」に踏み出すこともできないのでそれで終わり、
または自分一人で思索を続けるしかない。
また読んでいる人は、
「キマちゃん、そりゃ、違うでしょ。」
で終わってしまう。
読んでいる人も、「外」に出られない。
情報の交流がまったく行われません。
なので、ぜひこのブログの読者には、
ご自身の意見、
反論、
これはどうなの?と思うケースとか、
批判でも、
どしどしコメントお願いします。
僕は、議論して、
お互いに知恵と経験をシェアし、
お互いの理解を高めあっていくことが大好きですから☆
どうして「質問はありますか?」と聞いても、なかなか日本の人は手を挙げないのか・・・
ずっと気になっていました。
「日本人はシャイだから。」
とか
「聞きたいことがあっても、最初は難しいから」
とか、いろんな説がありましたが、
一昨日ふとしたことがあり、その理由が分かりました。
それは、
日本人は「議論」ができない
そして、
先生には逆らってはいけない
という2つの理由から成っていました。
僕は昔から、
何かを言うとすぐに嫌われたり、
「キマちゃんはすぐに反対する・・・」
とか言われて育ってきたわけですが、
僕的には「?」で、
なんでみんな「議論」ができないのだろう、
と思ってきたわけです。
まず、たとえば、ある人が、
「◯◯は☆☆なんです。」
といったとき、
「◯◯は、△△△ということじゃないんでしょうか?」
というと、
これは、日本では「批判」と受け取られます。
これがとくに、
「◯◯は☆☆なんです。」と言った人が、
「目上の人」「先生」なんかだと、
完全に嫌われます。
経験がある人、いっぱいいますでしょう?
でもこれができないなら、
授業や会議の場なんかで、質問がそんなに出るわけがないんです。
授業や会議、というのは、ある人がまずなにかを主張するわけですよ。
「◯◯は☆☆だ。」
というわけです。
で、
日本では、まずそれを「正しい」という前提で質問をしなければいけないのですが、
今まさに話されたばっかりの話について、理解して、さらに疑問を持つ、
なんてことが急にできるわけないんです。
そもそも「理解しているかどうか」が怪しい。
理解しているかどうかを確かめるためには、
「◯◯は、△△△ということじゃないんでしょうか?」
という質問が必要です。
そして、説明している人から、
「◯◯は、こうこうこういうことから、☆☆なんだよ。」
と言われて、はじめて納得できたりするわけです。
でも、日本ではこのプロセスが踏めない。
だから、授業や会議の場では、
「◯◯は☆☆だ。」と説明者が言っている文脈に沿って質問や意見をいわなければいけない、
という非常に「困難な場」ができあがってしまうのです。
で、
理解を間違って「カドが立つ」よりは黙っておこう
となります。
当たり前の話ですよね。
日本にこの「場」がある限り、
日本では発展性のある話はできません。
間違わなければ、理解なんてできるわけがない。
異なる想いや、異なる理解を、納得するまで説明してもらって、
はじめて「ああ、そういうことか」とか「ああ、そうなのか。」と思えるはずです。
たとえば、この記事について、
「いやいや、こういうことじゃないんですか?」
というコメントがもらえなければ、
僕は自分の気づきから「外」に踏み出すこともできないのでそれで終わり、
または自分一人で思索を続けるしかない。
また読んでいる人は、
「キマちゃん、そりゃ、違うでしょ。」
で終わってしまう。
読んでいる人も、「外」に出られない。
情報の交流がまったく行われません。
なので、ぜひこのブログの読者には、
ご自身の意見、
反論、
これはどうなの?と思うケースとか、
批判でも、
どしどしコメントお願いします。
僕は、議論して、
お互いに知恵と経験をシェアし、
お互いの理解を高めあっていくことが大好きですから☆