今日の記事は、あまりよく伝わらないかもしれないと思っている。
というのは、
非常に概念的であり、
またかつ、
概念で理解しようとすると、間違ってしまうからだ。
この話は、
話の内容自体はシンプルなのだけども、
「人間が物事を認識する」という能力の限界、
または、
そもそも私たちが「現実」だと認識することの非現実さ、
にもとづいているため、
頭でははっきりとは理解できない。
かわりに「指針」としては理解できるので、
とりあえず、
「そうだから、そうなのだ」
と頭にいれておいて、
「だから、どうしなければいけない。」
として、利用してもらえればいいと思う。
そもそもこの話のはじまりは、
僕自身が、
「実は実践的な研究など存在できなかった。」
ということが分かったことにあった。
ある意味では、
「研究者」という僕自身のアイデンティティの、
ベースを疑ってみた、
ということとも言える。
つまり、
「なぜいくら研究をしても、うまくいかないのか?」
という、
たくさんいろいろなことを学ぶ人ほど思う疑問を、
解決する糸口となる、
と考えてもらいたい。
本題に入るが、
ようするに、
「研究は行い(おこない)とは本質的に異なるものであって、
研究は研究、行いは行いで、別にしなければいけない。」
ということだ。
これに近いことでよくある誤解は、
「理論は実践には使えない」
とか
「いくら自転車の乗り方を勉強しても、自転車に乗れるようにはならない」
とか、ということだが、
これはちょっと微妙に違う、
ということをあらかじめ頭においておいて欲しい。
僕が発見したのは、
「研究(または勉強)」と「行い」は、
そもそも別の世界、と呼んでいいほど、
別のものだ、
ということだった。
僕が今まで誤解していたのは、
「研究は実践(行い)をうまくするために役に立つ」
または、
「勉強なんて実践には役に立たない」
というようにだった。
そもそも、
「研究」と「行い」は、
別の世界の話。
この2つのことを、
くっつけて話すためには、
もっと繊細さが必要だった、
ということなんだ。
なにを言っているのか分からなくなってきたでしょ?
そう、これは頭では直接は理解できない、
とても難しい話なのです。
明日は、
だから、どうやねん!
という疑問にお答えしますので、
楽しみにしていてください。
というのは、
非常に概念的であり、
またかつ、
概念で理解しようとすると、間違ってしまうからだ。
この話は、
話の内容自体はシンプルなのだけども、
「人間が物事を認識する」という能力の限界、
または、
そもそも私たちが「現実」だと認識することの非現実さ、
にもとづいているため、
頭でははっきりとは理解できない。
かわりに「指針」としては理解できるので、
とりあえず、
「そうだから、そうなのだ」
と頭にいれておいて、
「だから、どうしなければいけない。」
として、利用してもらえればいいと思う。
そもそもこの話のはじまりは、
僕自身が、
「実は実践的な研究など存在できなかった。」
ということが分かったことにあった。
ある意味では、
「研究者」という僕自身のアイデンティティの、
ベースを疑ってみた、
ということとも言える。
つまり、
「なぜいくら研究をしても、うまくいかないのか?」
という、
たくさんいろいろなことを学ぶ人ほど思う疑問を、
解決する糸口となる、
と考えてもらいたい。
本題に入るが、
ようするに、
「研究は行い(おこない)とは本質的に異なるものであって、
研究は研究、行いは行いで、別にしなければいけない。」
ということだ。
これに近いことでよくある誤解は、
「理論は実践には使えない」
とか
「いくら自転車の乗り方を勉強しても、自転車に乗れるようにはならない」
とか、ということだが、
これはちょっと微妙に違う、
ということをあらかじめ頭においておいて欲しい。
僕が発見したのは、
「研究(または勉強)」と「行い」は、
そもそも別の世界、と呼んでいいほど、
別のものだ、
ということだった。
僕が今まで誤解していたのは、
「研究は実践(行い)をうまくするために役に立つ」
または、
「勉強なんて実践には役に立たない」
というようにだった。
そもそも、
「研究」と「行い」は、
別の世界の話。
この2つのことを、
くっつけて話すためには、
もっと繊細さが必要だった、
ということなんだ。
なにを言っているのか分からなくなってきたでしょ?
そう、これは頭では直接は理解できない、
とても難しい話なのです。
明日は、
だから、どうやねん!
という疑問にお答えしますので、
楽しみにしていてください。