今日は、子供の教育に関して、
「自立」ってことについて、さらっと書きたいと思います。
「自立」って、
文字から考えても、
「自ら立つ」ってこと。
これに似たようだけと違う言葉は「独立」。
これは、「独りで立つ」ってこと。
よくこれが混同されている。
「自立」っていうのは、
ちょっと分かりやすくいうと「自発的な意志で立っていく」
っていうことです。
なんとなく成人になって、
「みんなそうだから」と社会に出て、
給料を稼いで暮らしていく、
っていうのは「自立」ではない。
親に頼らず生きていく、
っていうのも「自立」ではない。
「自立」っていうのは、
子供が、
自ら立とうとする「意志」であり「行動」のこと。
つまり、
「自立しなさい!」
って他人から言われるのは、
決して「自立」には成り得ない。
「自立」するには、
それまでの「子ども」のプロセスがしっかり終わっている必要がある。
愛されること、
甘えること、
赦されること、
守られること。
そして時には、突き放されること、叱られること。
それらをしっかり体験し、
それを与えてくれた親の苦労と愛情を知ってはじめて、
「もう自分でやっていこう。」
と思う。
そして立ち上がる。
これが『自立』だ。
「子育て」や「人育て」は、
決して「結果」を求めて焦らず、
一見「周り道」に見えるようなことを、
1つ1つ、確実に、終わらせていくことだ。
きちんと自分で上がった階段は、
決して降りることはないのだ。
人間は偉大で、
ちゃんと自然に成長する。
ただし、ちゃんとプロセスを踏めば。
種は突然大木にはならない。
芽から突然花が咲くことはない。
一本の枝から突然たくさんの実がなることはない。
でも・・・
きちんと「種」から芽が出るのを待ち、
枝が伸びていくにつれ、
必要な栄養を与え、
成長を抑えるものはきちんと取り除いていくことで、
その「種」は「大きな木」になる。
人間も動物で、
自然の一部だから、
本来ならば人間は自然に「自立」する。
他人に「依存」するホ乳類なんていない。
いつまでも親に甘えているホ乳類なんていない。
でも、
与えるべきときに与えないと、
取るべきときに取り除かないと、
自然はカンタンにダメになる。
ただでさえ、
今の社会は「自然」ではないから、
ただ放っておいては人は自然なプロセスは踏まない。
「放任」と「自然」とはまったく異なるのだ。
適切な時に、適切な対応をしてあげること。
それが大きな木を育てるのだ。
自分で生きる力を持った、イキイキとした「木」を。
「自立」ってことについて、さらっと書きたいと思います。
「自立」って、
文字から考えても、
「自ら立つ」ってこと。
これに似たようだけと違う言葉は「独立」。
これは、「独りで立つ」ってこと。
よくこれが混同されている。
「自立」っていうのは、
ちょっと分かりやすくいうと「自発的な意志で立っていく」
っていうことです。
なんとなく成人になって、
「みんなそうだから」と社会に出て、
給料を稼いで暮らしていく、
っていうのは「自立」ではない。
親に頼らず生きていく、
っていうのも「自立」ではない。
「自立」っていうのは、
子供が、
自ら立とうとする「意志」であり「行動」のこと。
つまり、
「自立しなさい!」
って他人から言われるのは、
決して「自立」には成り得ない。
「自立」するには、
それまでの「子ども」のプロセスがしっかり終わっている必要がある。
愛されること、
甘えること、
赦されること、
守られること。
そして時には、突き放されること、叱られること。
それらをしっかり体験し、
それを与えてくれた親の苦労と愛情を知ってはじめて、
「もう自分でやっていこう。」
と思う。
そして立ち上がる。
これが『自立』だ。
「子育て」や「人育て」は、
決して「結果」を求めて焦らず、
一見「周り道」に見えるようなことを、
1つ1つ、確実に、終わらせていくことだ。
きちんと自分で上がった階段は、
決して降りることはないのだ。
人間は偉大で、
ちゃんと自然に成長する。
ただし、ちゃんとプロセスを踏めば。
種は突然大木にはならない。
芽から突然花が咲くことはない。
一本の枝から突然たくさんの実がなることはない。
でも・・・
きちんと「種」から芽が出るのを待ち、
枝が伸びていくにつれ、
必要な栄養を与え、
成長を抑えるものはきちんと取り除いていくことで、
その「種」は「大きな木」になる。
人間も動物で、
自然の一部だから、
本来ならば人間は自然に「自立」する。
他人に「依存」するホ乳類なんていない。
いつまでも親に甘えているホ乳類なんていない。
でも、
与えるべきときに与えないと、
取るべきときに取り除かないと、
自然はカンタンにダメになる。
ただでさえ、
今の社会は「自然」ではないから、
ただ放っておいては人は自然なプロセスは踏まない。
「放任」と「自然」とはまったく異なるのだ。
適切な時に、適切な対応をしてあげること。
それが大きな木を育てるのだ。
自分で生きる力を持った、イキイキとした「木」を。