キマです。

心理学からコーチングから、古い日本の知恵やら、スピリチュアルな世界やら、

いろいろなものを研究してきましたが、

ここに来て、

ようやく一つのまとまりを得ました。




わかってみれば、

そういえば、某・伝説のビジネススクールでもそのようなことをいっていたし、

陰陽道でもいっているし、

友人の天才ヒーラー(霊能者?)もそうしているし、

アンソニー・ロビンスやらなんやらもそういっていたし、

そういえば、

歴史上に名を残している人もみんなそうやっていたかもなあ、

って分かったんです。




そんな、僕が気づいた、人生においてかなり重要なこと、

というか、

これはもっとも重要なことの1つじゃないの?

なんてことを今日はお伝えしたいと思います。




わたしたちは、毎日、何をしているでしょうか?

朝起きて、身だしなみを整え、

朝ごはんをつくって食べ、

服を着て、

通勤したり、

掃除や洗濯をしたり、

買い物をしたり、

またご飯をつくったり、

で疲れて休憩をしたり、

そんなことばかりやっていますね。




また、

朝起きては、「あ~今日も仕事だいやだなあ」とか、

通勤途中では、「あ~しんど。あっ、なんだこいつ!」とか

家事をしながら「今日のご飯は何にしよう。。。」

とか考えています。




でも、それらはあなたがやりたいことに何か関わりがあることなのでしょうか?




私は今日、

朝起きて気づいたのは、

(旅行から帰ってきたばかりなので)部屋がグチャグチャになっていて、

まずこれを掃除してから、つぎにご飯をつくって、、、

とか考えていたからです。




こういったことは本当に必要なのでしょうか?




僕は、今日までは、

そういった日常的なことを全部きちんとできることが、

人間にとって大事なことだと思ってきました。




もちろん、それは一理あるのは確かです。




実際には、そういった毎日の「雑務」をきちんと行うことを、

『修行』(=行いを修める)

といったのです。




「雑務」=「生活」です。

人が生きる、ということは、

雑務が発生する、

ということです。

雑務をしなければ、生きていません。




でも・・・それを自分がやる必要があるのでしょうか?




これはあなたが1人で生きているなら正しいですが、

幸か不幸か、私たちは、1人では生きていませんね。




家族という単位でなら、

「役割分担」が決まっています。

たとえば、よく見られるのは、

夫が外で仕事をして生活費を稼ぎ、

妻は家事をする、

などですね。




家族ではするのに、なぜもっと大きな単位でできないのでしょうか?




できないはずはない、

というか、

今も昔も、

なにか大きなことをしている人は、

みんなそれをやっていたんです。




「優秀な人」と呼ばれる人の陰には、

かならず「名女房」と呼ばれる役割の人物が欠かせません。

逆にいってしまうと、

「優秀な人」というのは、

どこかが「偏っている」わけです。




でも、家族におけるそれぞれの役割も偏っていますよね。

そう、「偏り」は問題ではなかった。




問題は、

「何をするか」だったんです。




明日に続く・・・