僕もたまには、なにもかも面倒になったり、嫌になったりして、

すべてを投げ出したり、やっていることをあきらめたくなることがある。

でも、僕はあきらめることができない。

だから、あきらめずやり続ける。



というのは、僕は人生というのは「一者択一」、

つまり、選択肢は一つしかない、ということを知っているからだ。

人生には「やる」しかない。

生きる、とは、やる、ことだ。



人にはそれぞれ見ているものがある。

夢だったり、成功だったり、幸せだったり、「いいな」と感じるものだったり、さらなる高みだったり、道だったり。

私たちには、ただそこへむかって「やる」以外の選択肢はない。



私たちが「やめた」途端、生きている理由がなくなってしまう。

私たちが前へ向かって進むのをやめた途端、人生は前へ進むことは決して無い。

前へ進むことがない人生は、そのまま時間が過ぎ、、、というかそのままであることすら決してなく、

私たちが望む方向へ進むこともまた決して無く、

そして人生の終焉を迎えることになる。

『あきらめる』ということは『そのままで死ぬまでの時間を過ごす』ということ。

だから、今日死んでも100年後に死んでも、なにも変わらない。



『それでもいいじゃないか。』

理屈としてはそう言うこともできる。

でも、残念ながら人間の心、自然はそれを認めるようにはできていない。



じゃあ、それを認めるためにはどうしたらいいか?

自分の思考、想い、感情、感覚、ついには存在を消していくしかない。

結局そこにあるのは、ある種の『死』である。



人間は『やって生きる』以外は、生きていないのと同じことになってしまう。

だから『やるしかない』のだ。



もちろん、『休む』ことはできるし、

人にはときには長い休息は必要だ。

でも、その後には、やっぱり自分の『前』に向かって歩き出すしかない。



死ぬまで歩き続けるのか、歩き続けなかったら死ぬのか。



そういえば、

みなさんは、『ご飯を食べないで生きられたらいいのに。』と一度でも思ったことはないだろうか?

でも、食べないと生きられませんよね。



ご飯を食べることをやめたなら、そこにあるのは『死』だけ。

決して、突然お腹がいっぱいになることなんてない。

生きるためにはご飯を食べる(本来は、食べ物を穫りにいく)必要があるし、

ご飯を食べることで生きていく。



生きるとは、まさにこういうことなんだ。



だから僕は『疲れたな』『もう終わりにしたいな。』と思っても、

明日もあきらめず、へこたれずに進みつづけるのです。



そして、貴重な生命を与えられた毎日の幸せに感謝しながら・・・