昨日の記事を書いた後で、『そういえば・・・』と思ったことがありました。



というのは、身近な人たちや自分のかつての行動パターンをみていて、

人って「もうダメだ!」と思うと、なぜか突然、わざわざ自分をさらに苦しめるような行為、つまり『自暴自棄』になるよね、

ってことだ。



人というのは、不思議な存在で、なにかを『増幅』したがる。

それは『良い』ことでも、『悪い』ことでも、だ。

しかも、どちらかといえば、その人が『悪い』と思っていることの方をより、である。



それは無意識、つまり自然の行動だ。

意識では「いやだ。」「やめたい。」と思っているのに、自然な自分はそれを増幅するのだ。



例を紹介すると、

これはプロセスワークが生まれたきっかけの一つでもあるのだが、

頭が痛いとき、多くの人は、(頭痛止めなどを飲まない場合)頭を叩いたり、する。

また、傷があると、そこをやたらと触ったりする。(これは動物も一緒だよね。)

気持ちが悪いと、「気持ちが悪い、気持ちが悪い」と考え、ますます気持ちが悪くなっていくのだ。



これは、「それをやってはいけない!」という客観的な視点ではっきりと知っていないと、やめられないものだ。

実際子供は、痒いとどんどんかきむしる。



かゆみや傷は目に見えて分かるから、それを『増幅』しないようにすることは、比較的学びやすい。

でも、それが『心』という『目に見えないもの』だったらどうだろう?



これが、陰陽道で伝わっている「滅びのサイクル(本来の古語での呼び方は知らない。)」、ということなのだろう。

人は、自分が不幸になると、わざわざ呼び水のように不幸になるようなことをする。



汚い言葉を使う、

姿勢を悪くする、

悪いことをあえてしてみる、

イライラするようなことをする、

などなど・・・



う~~~ん、不思議だ。



陰陽道では、このときに意識を良い方向にシフトさせるために「祭文」を唱える。

『悪しきものを祓いたまえて、常に正しきことを行わしめ給え』と・・・



これはようするに、自己催眠であり、自分の中の『正しい』状態へと戻る心理的なアンカーとなっているわけだ。

なるほど、これを一言唱えるだけで、無意識に入ってしまう

滅びのサイクル=自暴自棄のサイクル=自己破壊のサイクルから抜け出せるわけだ。



下の記事で、どうして子供はあきらめるのか?

という疑問を考えたが、

理解・行動能力が高いが、感情的な制御がままならない子供だからこそ、

一足飛びで自己破壊のゴールまで行ってしまうのかもしれない。



みなさん、上の祭文を覚えるなりして、いつも自分を客観的に見られる状態におけるように注意しましょう。

問題は、意外とそうしてみればささいなことにすぎないのかもしれない。。。

(NLPの問題解決アプローチなどでも、ポイントは結局ここだったりするしね。)



感情や気分に振り回されないこと。

それが、古くから日本で伝わってきた、人生や社会を幸せにする方法なのだ。