いろいろとシンクロがあったので、
「○○さんらしいね・・・」の記事の続きとしてこれを書きます。


人間は、本当はいろいろな部分のバランスがある時ある事柄に対して、一時的に現れるものに過ぎません。

優しい、冷たい、頑固、柔軟、強い、弱い、甘え、孤独を愛する、、、などなど。

人間は本来、相反する全ての要素をもっているものです。



ですが、人間は、人生のなかでいろいろな思い込みを埋め込まれたり、自ら持ったりすることで、

自らの全ての要素に偏りを持たせていきます。

そして、それがトラブルになります。



たとえばセラピーをしていても、ときにはマリアのように優しく、そしてまた時には氷のように冷たくなければなりません。

それができないと、あるときにトラブルが発生します。



自分の要素の表現に「偏り」があると、その偏りにぴったりあった人が集まってきます。

流せないから溜まっていってしまう、というイメージがぴったりな気がします。



たとえば、いつも優しいと、依存タイプの人が集まってきて、

彼らは成長することなく、そしてこちらはすべてのエネルギーを使いきってしまうことになります。

お互いに不幸せになるのです。



「○○さんらしい」といわれることは、このように自分のなかに「偏り」ができている、ということ。

ようするに、ある自分の部分を受け入れてないので、そこでトラブル、または自分の人生の可能性を失っていることを意味します。



「キマさんは優しいんですか?冷たいんですか?」と聞かれたら、

私は「どっちでもあるし、どっちでもないです。」と答えます。

時と場合、環境や人との関わりにおいて、いろんな自分の行動や思考、言動がある。だから、「私は○○」なんてことはない。

人間というのは、というか自然というのは、そういうものなのです。



もしあなたが、「あなたって○○よね。」と言われて傷ついているなら、

「自分にはそういう部分もある」と受け入れてください。

そういう部分もあるし、そうじゃない部分もある、だけなんです。

だから、傷つく必要なんてない。

どれも大事な大事な自分の部分で、その部分は時と場合によっては、非常にクリエイティブなものになることもあるのです。

だから、自分自身である自分の部分を否定しないようにしましょう。

重要なのは、「どうやって使うか?」なのですから。



東洋が西洋と最も違う点は、東洋には「純粋なもの」なんて自然には存在できない、という世界観がある点でしょう。

「清濁あわせ飲む」という言葉もあります。

○○100%なんて人はいません。

カンペキな人もいません。

どんな人でもOK、なんて人もいません。



100%は、人間の意識のなかの幻想でしかありません。

実際、今の科学でも100%の純度のものはつくれない。



それでいいじゃないですか。

だから、自分のいろいろな部分を否定するのではなく、

受け入れて、育て、

そしてクリエイティブに使っていきましょう。



大事な自分の部分を否定して、萎縮して生きるなんて、本当にもったいない。

大事な大事な自分、そしてそれをはぐくんでくれた親や様々な生物の命をムダにしないよう、それに感謝しながら生きたいものです。




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