この1週間とても体調が悪く、ほとんど食事もできないし、体も動かせない状況でした。



そのような時こそヘミシンクをして時間を過ごそうと思ったのですが、体調が悪いと意識を拡張することが意外に難しく、ビジョンが見えてもほとんど輪郭のようなものだけでした。



体に問題がある人はヘミシンクは難しいかもしれません。



痛みや不快感があると、意識を向こう側にフォーカスすることが難しくなります。

人の力ではどうしようもない事態も数々あります。


今回の震災でも、自然の変化というものが人の想像を超えて起こりえることが明白になりました。


しかし、それでも命あるものは生きていかなければなりません。


そして、生きる上では必ずと言っていいほど人は自分の心と共にその終わりの時まで存在し続けます。


最近、「大学・中庸」という古典を読み始めました。


これは国を治めようとする政治家ならば当然読んでいておかしくない本ですが、現状を考えるとそうでもなさそうで、いささか残念です。


国を治めるにはまず自分自身を修めなさいという、とても素晴らしいコンセプトの本です。


残念ながらあまり簡単に書いている注釈書がないのですが、それでも難解さを乗り越えてでも読む価値があると思います。


その初めの方で、善悪を判断することができなければ自分の感情をコントロールできない、そして感情をコントロールできなければ自分の心を正すことができないと記述しています。


善悪を判断するということは、これは価値判断です。


つまり、価値判断が正しくない人は、すべてが間違っているといっています。


逆に言うと人生が間違っている人は価値判断が間違っているのです。


これはエネルギーの世界でも同じことが言えます。


価値判断が間違っている人のエネルギーはひどい状態です。


それを改める必要があります。


大学・中庸 (岩波文庫) 大学・中庸 (岩波文庫)
(1998/04/16)
金谷 治

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今回の東日本大震災の犠牲になられた方々を可能な限りレトリーバルする活動はやりました。



しかしながら、生きて被災地で食糧や燃料がない状況は私では何ともしがたいです。



魂を安んじることはできても、それ以外はほぼ無能力ですね。



一応、寄付はしましたが、それで十分とは思えなかったのでメールマガジンなどで募金を呼び掛けることはしました。



呼びかけにこたえていただいた方もいらっしゃったようで、何か貢献できたことに多少私自身の心も安らぎました。



さて、世の中を見ると、善意による行動、寄付や実際の救出活動、原子炉の対応など危険を顧みず行っている人までいます。



同時に、食料や燃料の買いだめに走る人もいます。



私たちの中には善意とエゴと両方が存在します。



だから、エゴからの行為を否定するエネルギーを向ける必要はありません。



それより、支援をすることや自分にできない活動をしている人を称賛することにエネルギーを向けましょう。



そして、半ば自分や家族の生活も守りましょう。



恐怖からではなく。



恐怖から行動すると、たくさんのものでそれを埋めようとします。



世界を信じれば、必要なものはやってくるものです。



トイレットペーパーを買い占めている人もたくさんいますが、他の人も食事をすれば当然出るものがあると認識していれば、他の人に分けることもできます。



被災地の人々や死者だけではなく、今、恐怖から行動している人にも良いエネルギーを送りましょう。



エネルギーがその人を変化させるかもしれません。



結局、心の恐怖という穴は心でしか埋められません。



なお、良いエネルギーを出せない場合はやめておく方がいいです。



心の恐怖がある人の場合、そのエネルギーは恐怖を伝染させます。