私たちの生活の中には気という言葉があふれていますが、そのほとんどが気功においてヒントとなります。




たとえば、やる気が出ないという言葉がありますが、気というものは確かに出すものです。これは自分から出すものであって、自分以外の何かが出してくれるものではありません。人が動くには、必ず気が最初に動くのです。




人の人生は常にやる気に満ち溢れているわけではありません。もしあなたがやる気を失った時に自分の意志で気を出すコントロールができれば、やる気をもう一度取り戻すこともできます。




そのようなコントロールができれば新しいものに挑戦する時は多くの人がいろいろなことが煩わしくて「気が進まない」という状況でも、自分の気をコントロールできれば新しい可能性を開くことができます。人生は短期間でどれだけ多くの機会を得られるかでかなり変わってくるのですから。


また、最近はやりの言葉で「気づき」というものがあります。これは、自分の内面的な探求による心の中かの発見を意味するのですが、気付くということはまさしく気をなにか精神的ななにか、自分の内面的な世界における洞察に付けることによってそれが明らかになるのです。




つまり、気がそこに付かなければそれは永遠に私たちの心の中で苦しみを作り出したり、幸せのチャンスを逃したりすることになるかもしれません。それは、見知らぬ道を歩いていて、その道すがらいろいろな発見、おいしいお店や素敵な品ぞろえのお店に出会うことなく通り過ぎるのに似ています。




これも、自分の心に気を向けることによってより効果的に「気づく」機会を増やすことが可能となるのです。そのためには気をコントロールするレベルが心に向けられるほどの能力を必要としますが、それも訓練でとても簡単に可能となります。たぶん、今まで心の苦しみに耐えられないと思っていいた人々にとって大きな贈り物となるでしょう。







ゲートウェイにはいろいろなセッションがあり明日が、これほど短いものは少ないといえるでしょう。Mission Dayはわずか15分のセッションで、正直言うとあっという間に終わってしまったのであまり印象がありませんでした。


思考やイメージ、そして感情を自分の1日のために設定する行為は、あまり日々の生活でする機会がないかもしれません。モンロー研究所では毎朝のモーニング・エクササイズで自分自身のコンディションを最高に持っていけるようにある意味盛り上げますが、それと同じような効果を狙っているのでしょう。


引き寄せの法則というものがありましたが、結局のところ自分自身の1日を最高のパフォーマンスでパワフルに過ごせるようにできること自体が、もはや心の力を使っていること、そしてそれができて初めてより大きなものを引き寄せる下地となることを示唆していると言わざる負えません。


実際、自分の思考を支配できない人間に、いったい何ができるでしょう。


モンロー研究所の優れている点は、時代の最先端をはるか昔にもうすでに実践する機会を奥の人に提供していたことです。しかも、モンロー氏自身がビジネスの世界で十分に成功していたにもかかわらず私財を費やしてヴァージニアののどかな地域に研究所を設立した行為で雄弁に物語っています。


モンロー氏の自分の思いを実現するレベルの高さは、当然、並ではなく、その死後も続いています。これほどすばらしいことがあるでしょうか。


人の思いというものがどれほどすばらしいものになりえるのかという、よい見本と思います。

昔から鳳凰や龍、麒麟など伝説上の動物は世界中至るとこで語り継がれています。以前はよくまぁ昔の人はこんなにいろいろな生物を創造とは言え作り上げたものだと思いました。


確かに、龍にしか見えない雲などは今まで何度も観たことがありますが、あくまで「そのように見える」というレベルを超えるものではありませんでした。


ヘミシンクを学習する人の中には妙に龍が人気で、多くの人が見たり、姿を変えたり、いろいろな形でかかわっているようですが、私自身はあまり信念体系がまとわりついているものは好きではなく、エナジー・ドルフィンですらイルカではなく、自分では猫を使っています。


それに今まで夢ではあまり突拍子のないものは見たことがなかったのです。


今日の朝方、夢の中で黒い猫が出てきました。まぁ、近所の顔見知りの猫と思ってそれほど気にもしなかったのですが、よく見るとしっぽが2本ありました。


朝起きてから、しっぽが2本あるっていうのは猫又だ。


この現象で面白いのは、認識という作業は夢の中ではなく顕在意識の中で行われているということです。


つまり、夢の中ではあまり認識するということが難しいようです。


認識とは自分の五感を通して知覚したものに意味を与える行為なのですが、それができない、もしくはできにくい状況にあるのですから。


そう考えると、体外離脱中の経験を文章にするのはかなり難しいことかもしれません。