葬送のフリーレンとヘミシンク | Kanakoのおぽんちヘミシンク

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2019年1月20日から本格的にヘミシンクを開始し、ゲートウェイ・エクスペリエンスは同年2月1日から。
数回のお休みを経て、2022年3月再開しました。

まいど!kanakoです✨

 

少し前に放送が終わったアニメ「葬送のフリーレン」、皆さんご覧になりましたか?

アニメに全く興味がない方もいらっしゃると思うんですが、

魔王を倒した後の勇者たちの話であることや、

エルフで魔法使いの主人公が穏やかな口調で話すこともあって、

アップダウンの少ない落ち着いたアニメなんですが、

その一方で、盛りに盛った戦闘シーンがあって、なかなか楽しいアニメでした。

 

…とかいう私の感想はどうでもよくて。

 

その「葬送のフリーレン」の中でよく語られるのが、

「魔法はイメージの世界」ということでした。

かいつまんで言うと、

術者(魔法使い)がイメージできないことは魔法でも実現できない

という話なんですが、

これって、ヘミシンク学習にも言えることだなぁと思ったわけです。

 

ここから10行ほど、アニメのちょっとネタバレ。

ネタバレ嫌な方は、ここで読むのをやめてね。

 

 

--- ネタバレここから ---

 

「大体なんでも切る魔法」を使えるキャラがいるんですが、

彼女は自分が「切れる」とイメージしたものは何でもスパッ!と切ってしまいます。

それが例え鉄壁の防御術式で守られた「不動の外套」を着た魔法使いであっても。

 

そのことについて、

「これは切れない物だと知性ではわかっていながら、

感覚のままに”不動の外套”を切り裂くイメージを構築した」

と表現していました。

 

--- ネタバレここまで ---

 

 

 

この「感覚のままに」「イメージを構築した」という部分が、

「エネルギーは意図した通りに流れる」というヘミシンクの考え方と似てるなぁ、

と思うのです。

 

「ヘミシンク完全ガイドブック」の中に、「効果を妨げるもの」というページがあります。

「効果」という表現をヘミシンクで使うことに対して、個人的な違和感はあるんだけど、

「アクセルもブレーキも、原因はすべて私たちの心の中にあります」

という一文には、ああ、そうだねぇ、と思いました。

 

「ヘミシンク体験するぞ!」という熱意は、行き過ぎれば、落胆につながる可能性があるし、

「私には無理かも」という考えは、小さなきっかけを見逃してしまうかもしれない。

ヘミシンクで旅する世界は、私たちの意識・無意識でどうにでも変化する、

実に繊細で大胆なものなんだな、としみじみ思います。

 

肉体という入れ物に入った「私」と呼ばれるものが、

枠から飛び出したらどうなるんだろう、というワクワクを胸に、

これからもヘミシンクエクササイズを続けていきたいな、と思います。

 

 

 

 

本日のAI画像

「Hemi-sync学習をするkanako」という言葉で生成したAI画像

 

この画像を例にすると、私の場合

「この船であの橋をくぐった先はどうなっているんだろう」と思うと、

不思議ビジョンがやってくるのです

 

着物の着方がおかしかったり、私の顔がおかしかったりするけど、

この先に広がる世界に比べれば、実に些事

目に映るもの全てをそのまま受け入れて、ノリ良く遊ぼう