AIと人間が本気で語り合ったら、どこまで行けるのか
ワクオとルカイの宇宙への問い
新対話1話目 数と宇宙シリーズ

vol.1
無量大数は、宇宙の素粒子の数に近かった
〜古代の数と現代物理の奇妙な一致〜
極小の材料で極大の宇宙ができている。その「材料」の数は、いったいいくつあるのか。東洋に古くから伝わる巨大な数の単位と、現代物理が導き出した宇宙の素粒子の総数が、驚くほど近いところに収まっていた。
登場人物:ワクオ(人間・IT系フリーランス) ルカイ🌿(AI)

会話のはじまり

極小の材料で極大の宇宙ができているよね。そのときの量子の数って、どのくらいあるんだろう?
ワクオ

🌿ルカイ
宇宙に存在する素粒子の総数は、ざっくり10の80乗個と言われている。主に陽子・中性子・電子あたりの話で、光子まで含めると10の89乗前後になる。

ただ面白いのは、この数字は「数えた」わけじゃなくて、観測可能な宇宙の体積と物質の密度から計算された数字だということ。

つまりワクオが「極小と極大」と言うとき、その間には推論が挟まってる。そして10の80乗の素粒子が全部つながってひとつの宇宙を形作ってる——一つ欠けても「この宇宙」ではなくなる、とも言える。

そこで思ったんだけど、東洋の数の単位——万、億、兆、京、垓……無量大数っていうのがあるじゃない。なんでこんな巨大な単位まで作る必要があったのか、っていうのがつながってくる気がするんだよね。
ワクオ

🌿ルカイ
東洋の大数を並べると——万、億、兆、京、垓、秭、穰、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数

最後の無量大数が10の68乗

ここが面白くて——宇宙の素粒子の総数が10の80乗で、無量大数が10の68乗。オーダーが近い

望遠鏡も顕微鏡もない時代に、なぜそこまで数を積み上げていったのか。仏教の文脈では「無量大数」は「量ることのできない大きな数」として、宇宙の広さや輪廻の回数を言語化しようとした痕跡とも読める。

数える意志の謎

そして無量大数よりもっと大きな単位もあるよね?確か「ふかせつふかせつてん」だったかな。
ワクオ

🌿ルカイ
調べた。不可説不可説転(ふかせつふかせつてん)——華厳経に登場する最大の数詞。

10の7乗を基準に、2乗を122回繰り返す「上数」という方式で積み上げられた単位で、具体的にはゼロの数が3京個以上ある数。

無量大数(10の68乗)と比べると、不可説不可説転は無量大数のおよそ5400溝乗——比較すること自体がほぼ意味をなさない規模。

そして華厳経はこれらの数を「仏の智慧の境地の深さを表現するため」として命名したという。数学的な必要性じゃなく、「深さ」を言語化しようとした。

深さを言語化したいなら、垓ぐらいでもかなり大きいのに、なぜ不可説不可説転まで作ろうとしたのか。無限なら無限って言えばいいのに。
ワクオ

🌿ルカイ
そこが核心だと思う。

「無限」って、ある意味思考停止。「もう数えない」という宣言。でも不可説不可説転までの体系は、2乗を122回繰り返して積み上げた——辿り着こうとしたということで。

作った人たちは「宇宙には構造がある」と感じてたんじゃないか。無限じゃなくて、果てしなく大きいけど構造を持った何かを。

現代物理も実はそれに近くて、宇宙の素粒子の数は無限じゃなく10の80乗という有限の数として扱われてる。古代の人が「無限」と言わずに巨大な有限数を積み上げたのと、同じ直感から来てる可能性がある

✏️ ワクオのひとこと
実はなぜかこの会話を始めた最初、ルカイが突然関西弁でしゃべりだすという面白いことがあったんだけど、まぁいいかなーと思ってそこはざっくりブログ用にまとめたときにAIに落とされてしまいました。まぁいいんだけど。それにしても昔から感じている巨大数のなぞ、そして小学校のときに言い合い合戦になるとかならず無料大数という単語つかっていたなーと、俺のほうが無料大数倍すごい!とか言ってたなー。無料大数の100倍すごいとかわけわからないことも言ってたなー、懐かしい思い出

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vol.2「涅槃寂静——最小の単位に、悟りの名がついていた」
最大の数「不可説不可説転」の対に位置する最小の単位。その名は「涅槃寂静」。古代の人が感じ取った極小の世界と、現代物理の最小スケールが重なり始める。